六人部庄(読み)むとべのしよう

日本歴史地名大系 「六人部庄」の解説

六人部庄
むとべのしよう

古代の天田郡六部むとべ(和名抄)に立荘された荘園で、福知山市の東南部、土師はぜ川流域の六人部谷一帯に比定される。またのちに六人部庄に包含される、何鹿いかるが高津たかつ郷に成立した六人部新庄もあり、福知山市字観音寺かんのんじ一帯とされる。

六人部庄の初見は大治三年(一一二八)六月日付平資基屋地去渡状(九条家文書)で、資基が父資孝から相伝した所領の一つとして「丹波国六人部御庄」があげられ、この時資基から「信濃守殿」に譲られている。次いで荘名がみえるのは、寿永三年(一一八四)四月六日付源頼朝下文案(久我文書)で、平家没官領のうち、平頼盛(池大納言)知行地は頼朝と頼盛の母池禅尼との特別な関係から頼盛に返されたが、その一つに「八条院御領」六人部庄が含まれていた。下って嘉元四年(一三〇六)昭慶門院御領目録(竹内文平氏所蔵文書)には「庁分」の項に入れるが「丹波国六人部庄蓮花心院領非庁分」と記される。

これらによれば、六人部庄は皇室領(八条院領)で、鳥羽天皇皇女八条院子内親王)が、承安四年(一一七四)仁和にんな(現京都市右京区)内に御願寺蓮華心れんげしん院を建立した際施入したものと思われ、以降大覚寺統の荘園として亀山天皇皇女昭慶門院に伝領されたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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