六呂見村(読み)ろくろみむら

日本歴史地名大系 「六呂見村」の解説

六呂見村
ろくろみむら

[現在地名]四日市市六呂見・追分おいわけ一丁目・日永東ひながひがし三丁目・泊小柳とまりこやなぎ町・海山道みやまど町・大池おおいけ

馳出はせだし村の西にあり、南は川尻かわじり村。天正一一年(一五八三)の内宮神領本水帳写には「六石 守是 ろくろミ」と出る。「五鈴遺響」は、「神風徴古録」をひいて日永ひなが御園の故地とする。江戸時代は初め幕府領、その後長島藩領となり、再び幕府領と変遷。

享和元年(一八〇一)村差出帳(徳川林政史蔵)によれば戸数一一三、うち本百姓七八・水呑三四・大工一、人数は男二六〇・女二七七の計五三七。神社は氏神神前かみまえ神社・天王社・若宮八幡社。寺院は高二〇石の朱印地を有する勅願所観音寺(浄土宗)。四日市宿の助郷として村高のうち一千一九二石に相当する人足と、馬五疋九分六厘相当の負担があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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