六工社跡(読み)ろつこうしやあと

日本歴史地名大系 「六工社跡」の解説

六工社跡
ろつこうしやあと

[現在地名]長野市松代町西条

明治七年(一八七四)創立の器械製糸工場

江戸中期以後松代藩では養蚕業が盛んとなり、座繰糸の生産も増加した。文化年間(一八〇四―一八)埴科はにしな新地しんち(現埴科郡坂城町新地)の山崎丈右ヱ門は、新地村に生糸市場を設けて年六回の取引を行ったが、藩は物産掛に命じて市場を松代に開かせた。その後、生糸は藩の物産会所に買収させ、桐生・足利・西陣へ移出、安政五年(一八五八)横浜開港後は輸出するに至った。明治五年(一八七二)松代の海沼房治郎は藩士大里忠一郎と官営の富岡製糸工場を視察、翌六年伝習生を派遣した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 子女 基礎

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む