日本歴史地名大系 「六条顕季邸跡」の解説 六条顕季邸跡ろくじようあきすえていあと 京都市:下京区稚松学区夷之町六条顕季邸跡修理大夫で歌人としても知られた六条顕季の邸宅跡。元永元年(一一一八)六月一六日に同邸で催された柿本人麻呂供養を記した、大学頭藤原敦光の「柿本影供記」に「修理大夫亭六条東洞院」とある。近世の「山城名勝志」はその位置を「拾芥抄京程図在六条南、東洞院東」と記すが、刊本「拾芥抄」はその位置を「顕房卿」としており、不審。刊本の誤記かと思われる。「坊目誌」のいう方一町なら現在の夷之(えびすの)町のほぼ全域と、升屋(ますや)町・若松(わかまつ)町・天神(てんじん)町・富田(とみた)町・橋詰(はしづめ)町の一部にあたる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by