夷之町(読み)えびすのちよう

日本歴史地名大系 「夷之町」の解説

夷之町
えびすのちよう

下京区七条通新町西入

東西に通る七条しちじよう(旧七条大路)を挟む両側町。西側は西洞院にしのとういん(旧西洞院大路)に面し、町内の東を南北に新町しんまち通(旧町尻まちじり小路)が通る。

平安京条坊では、左京七条三坊二保四町南側と五町西南隅、左京八条三坊一保一町北側と八町北西隅の地。源経信の日記「帥記」寛治二年(一〇八八)一一月一三日条には、「申酉刻許刑部卿来向、今日中将被帰、武者可見物也者、同車、又招乗前馬助、向七条町尻辺」との記述がみえる。これは春日祭の勅使一行の帰京を、経信が見物に出掛けた記事で、「七条町尻」は夷之町の地にあたる。この記事から、既に条坊標示が崩れ、道路を基軸とした地点表示が使用されていたことがうかがえる。


夷之町
えびすのちよう

下京区間之町通五条下ル三丁目

南北に通る間之町あいのまち通を挟む両側町。町の中央を東西に六条通が通る。

平安京の条坊では左京七条四坊一保一町北側にあたり、平安中期以降は六条東洞院大路の東。町内の大部分は六条顕季邸にあたる(拾芥抄)。「柿本影供記」元永元年(一一一八)六月一六日条には、六条東洞院修理大夫藤原顕季邸で柿本人麻呂影供が行われたことがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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