日本歴史地名大系 「六角獄舎跡」の解説 六角獄舎跡ろつかくごくしやあと 京都市:中京区乾学区因幡町六角獄舎跡[現在地名]中京区因幡町京都御役所向大概覚書所収の図面によれば、六角(ろつかく)通南、蛸薬師(たこやくし)通北、神泉苑町(しぜんえんちよう)通西にあたり、獄舎の東側には浄土宗如来(によらい)寺がある。これは現因幡(いなば)町西側で、現京都感化保護院の場所である。宝永五年(一七〇八)三月の大火によって、以前小川(おがわ)通にあった牢屋敷が焼亡したため、翌六年、この地に新しい牢を建てたものである(京都御役所向大概覚書)。幕府側の正式名称は三条新地(さんじようしんち)牢屋敷であるが、六角通に面していたので「六角の獄舎」とよばれた。京都御役所向大概覚書付載の図面によれば、敷地東西三八間、南北二九間、総坪数一千一〇二坪、外側を竹柵来、内側を築地で囲む。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by