兵庫下庄
ひようごしものしよう
六甲山地西部南麓の沖積地を中心に成立した兵庫庄の一部。単に下庄ともいう。兵庫庄は皇室領庄園で、兵庫三箇庄(兵庫三ヶ庄)ともいい、平安時代末期には平頼盛が領家であった。寿永三年(一一八四)以前に上庄・中庄・下庄に分れていたとみられる(→兵庫庄)。貞応元年(一二二二)八月日の大中臣景盛愁状案(大中文書)に「兵庫下御庄」とみえ、地頭右馬允定元が長田社(現長田区)氏人筆頭人として署名している。同時に中野田・野田・中・尻池(現長田区)、板井戸(板宿)・田井(多井畑か)・須馬各村の長者や刀禰が連署している。しかしこれらの村は長田社の氏子の居住地ではあっても、下庄に含まれるとは限らない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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