日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤松範資」の意味・わかりやすい解説
赤松範資
あかまつのりすけ
(?―1351)
南北朝時代の武将。則村(のりむら)の嫡子。鎌倉末期に摂津国長洲(兵庫県尼崎(あまがさき)市長洲町)御厨(みくりや)の執行職(弟貞範(さだのり)は惣追捕使(そうついぶし))、九条家領輪田庄(わだのしょう)地頭職を得て、海陸交通の要衝である同国沿岸部を押さえた。元弘(げんこう)の乱に活躍し、建武(けんむ)政権の成立に力を尽くしたが、足利尊氏(あしかがたかうじ)が背くと父円心(えんしん)(則村)とともにその与党になり摂津国守護職に任ぜられる。1350年(正平5・観応1)円心死没後、赤松氏惣領になり、播磨(はりま)国守護職を兼ねるが、翌1351年4月京都七条邸に没す。跡は弟則祐(そくゆう)が継いだが、摂津国守護職は嫡子光範に分与された。諡号(しごう)は霊光院殿摸叟世範。
[岸田裕之]