兼沢村(読み)かねさわむら

日本歴史地名大系 「兼沢村」の解説

兼沢村
かねさわむら

[現在地名]黒瀬町兼沢

西南流する黒瀬川を挟んで市飯田いちいだ村の西北対岸に位置し、北西津江つえ村、東北は切田きりた村に接する。西部は標高三〇〇―四〇〇メートルの山地、北部は二〇〇メートルほどの丘陵地。津江村からイラスケ川(猿林川)が南流して黒瀬川に注ぐ。賀茂郡の「国郡志下調郡辻書出帳」によれば「南に大川有テ土地低シ、湿地多故作方日和を好ム」所もあるが、一方では干損の箇所もあるという村柄であった。

元和五年(一六一九)の安芸国知行帳は「兼蔵村」として高三七六石七斗三升を記し、「芸藩通志」は兼沢村として田畝四一町九段六畝余とあるが高には変化はない。明治三年(一八七〇)の郷村高帳(広島大学蔵)も高は同じであるが、見取場として田一町五段余・畑五町二段四畝余の計六町七段五畝余があげられており、津江村に劣らず新田開拓に努力したことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android