日本歴史地名大系 「兼沢村」の解説
兼沢村
かねさわむら
西南流する黒瀬川を挟んで
元和五年(一六一九)の安芸国知行帳は「兼蔵村」として高三七六石七斗三升を記し、「芸藩通志」は兼沢村として田畝四一町九段六畝余とあるが高には変化はない。明治三年(一八七〇)の郷村高帳(広島大学蔵)も高は同じであるが、見取場として田一町五段余・畑五町二段四畝余の計六町七段五畝余があげられており、津江村に劣らず新田開拓に努力したことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報