黒瀬町(読み)くろせちよう

日本歴史地名大系 「黒瀬町」の解説

黒瀬町
くろせちよう

面積:六四・五七平方キロ

賀茂郡南西端の飛地で、東南は豊田郡安浦やすうら町、西北は安芸郡熊野くまの町、北は東広島市、南西は呉市に囲まれる。北は小田おだ(七一九・一メートル)、西は石岳いしだけ(五五九メートル)、南は野呂のろ山地に属する前平まえひら(五〇一・二メートル)虚空蔵こくぞう(四三一・八メートル)など標高五〇〇―七〇〇メートルの山地に囲まれる約一五〇―一八〇メートルの盆地上に立地。東広島市に源を発する黒瀬川が、中央部をほぼ北東から南西に流れ呉市域に入る。当町域内を流れるその支流には、右岸に北からガガラ川大樋おおい川・神洗かれい川・イラスケ川(猿林川)左岸に北から竹保たけやす川・猿田さるた川などがある。

黒瀬町
くろせまち

[現在地名]八百津町八百津

細目ほそめ村の枝郷で、本郷の南の木曾川河岸にある。木曾川舟運の最上流の河岸で、黒瀬湊ともよばれた。「濃州徇行記」に高一六三石余、家数一七五(うち四日市場に八)・人数六五四、馬なし、鵜飼船六〇、白木問屋二・商人荷物問屋一があり、船乗も多い。「商家多くて繁昌なる湊也、本郷札ノ辻より木曾川渡場まで六町廿三間あり(中略)此湊にて当所近村の商荷物は勿論の事苗木領より日々人の背負出る荷物や牛馬荷物等を船積にして木曾川を下し処々へ運送するに便利なる処なり(中略)これより未申の方伊岐津志村へ馬渡船一艘あり」と記される。元禄・天保両郷帳では村名はみえず、細目村の高のうちに含まれていたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報