内大工町(読み)うちだいくまち

日本歴史地名大系 「内大工町」の解説

内大工町
うちだいくまち

[現在地名]彦根市中央町ちゆうおうちよう本町ほんまち一丁目

てら町の東方にある職人町で、西内大工町・東内大工町に分れる。慶長九年(一六〇四)破却された大津城の天守を彦根城に移築したとされるが、その天守閣隅木墨書銘には同一一年の日付とともに彦根城下大工町で喜市・山本助六・喜兵衛らが普請に当たったことが記される。喜兵衛は「井伊年譜」にみえる大工棟梁浜野喜兵衛と考えられる。元禄八年大洞弁天寄進帳には内大工町として、軒数五七のうち借家四一と借家率が高く、人数は男一二六・女九四(下人九)、諸職諸商は七種三三軒で、大工二〇・木挽七ほか屋根葺・桶屋など、町代は大工、横目紺屋が勤めていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報