改訂新版 世界大百科事典 「内山賀邸」の意味・わかりやすい解説
内山賀邸 (うちやまがてい)
生没年:1722-88(享保7-天明8)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…ところが明和年間(1764‐72)江戸山の手の一角に新鮮な運動が起こった。牛込加賀町の内山賀邸は近隣の子弟に国学を教えていたが,堅苦しいいっぽうの先生ではなく,みずからも狂歌を好み門弟にもすすめた。いち早く狂歌に手を染めたのは唐衣橘洲(からごろもきつしゆう)で,1767年(明和4)同門の一人19歳の四方赤良(よものあから)(大田南畝)が狂詩文集《寝惚(ねぼけ)先生文集》を出したのも刺激になったか,1769年橘洲宅で初めての狂歌会を開き,翌年賀邸,萩原宗固を判者として《明和十五番狂歌合》があった。…
※「内山賀邸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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