コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

内山賀邸 うちやま がてい

2件 の用語解説(内山賀邸の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

内山賀邸 うちやま-がてい

内山椿軒(うちやま-ちんけん)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

うちやまがてい【内山賀邸】

1722‐88(享保7‐天明8)
江戸中期の狂歌師。通称は伝蔵,名は淳時(なおとき),別号は椿軒(ちんけん)。江戸牛込加賀町に住した幕臣で,近隣の子弟に国学・歌学を教えていた。一面狂歌を好み門人にもすすめ,門下に四方赤良(よものあから),唐衣橘洲(からごろもきつしゆう),朱楽菅江(あけらかんこう),平秩東作(へずつとうさく)等天明狂歌大立者を輩出した。編著は和歌に《遺珠集》,狂歌に《明和十五番狂歌合》。〈天のはら鳴りて時々下るなら灸すゑてやれ雷の臍〉(《狂歌若葉集》)。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内の内山賀邸の言及

【天明狂歌】より

…ところが明和年間(1764‐72)江戸山の手の一角に新鮮な運動が起こった。牛込加賀町の内山賀邸は近隣の子弟に国学を教えていたが,堅苦しいいっぽうの先生ではなく,みずからも狂歌を好み門弟にもすすめた。いち早く狂歌に手を染めたのは唐衣橘洲(からごろもきつしゆう)で,1767年(明和4)同門の一人19歳の四方赤良(よものあから)(大田南畝)が狂詩文集《寝惚(ねぼけ)先生文集》を出したのも刺激になったか,1769年橘洲宅で初めての狂歌会を開き,翌年賀邸,萩原宗固を判者として《明和十五番狂歌合》があった。…

※「内山賀邸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

内山賀邸の関連キーワード安部信貞佐々木玄竜真栄進藤長房狩野柳伯享保板倉勝興左橋橙雨武田信村忠誉入道親王