朝日日本歴史人物事典 「内山椿軒」の解説
内山椿軒
生年:享保8(1723)
江戸中期の歌人,儒学者。名淳時,通称伝蔵(伝三),別号賀邸。江戸の人。幕臣とされるが役職等未詳。和歌を坂静山に学び,堂上歌人の烏丸光胤,日野資枝にも指導を受けた。江戸の武家歌人として六歌仙のひとりに数えられるなど,当時の評価は高かった。没後刊行の家集『遺珠集』の書名は日野資枝が付けたもの。門人に大田南畝を代表とする天明狂歌師を多数擁し,自らも萩原宗固と共に「明和十五番狂歌合」の判者を勤めるなどしたため,和歌よりも天明狂歌の祖として名高くなった。<参考文献>玉林晴朗『蜀山人の研究』
(久保田啓一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報