内島見興野(読み)うちしまみごうや

日本歴史地名大系 「内島見興野」の解説

内島見興野
うちしまみごうや

[現在地名]豊栄市木崎きざき

南は内島見西興野、西は内島見上興野。砂丘上に縄文時代の尾山おやま遺跡など多くの遺跡が存在する。木崎尾山木伏きつぷしなど砂丘上に点在する集落からなるが、享保期(一七一六―三六)以前は島見前しまみまえ潟とその低湿地帯を控え、漁家が数戸在存するのみであったと伝える。享保一五年の阿賀野川まつさき本流化により開拓が進んだ。この地が内島見興野という名で行政村として把握されたのは、元文二年(一七三七)新発田藩検地からである。開発は藩主から開発権を寄進された新発田しばた宝光ほうこう寺の手で行われたが、同寺は開発後、当村を五十公野いじみの(現新発田市)石仏せきぶつ庵に寄付し、以後石仏料として取扱われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

パソコンやサーバーに侵入して機密文書や顧客情報のデータを暗号化して使えない状態にし、復元と引き換えに金銭を要求するコンピューターウイルス。英語で身代金を意味する「ランサム」と「ソフトウエア」から名付...

ランサムウエアの用語解説を読む