日本大百科全書(ニッポニカ) 「三宅正一」の意味・わかりやすい解説
三宅正一
みやけしょういち
(1900―1982)
農民運動家、政治家。岐阜県生まれ。早稲田(わせだ)大学在学中、建設者同盟、日農関東同盟に参加。卒業後、新潟で県連合会を結成、1926年(大正15)木崎村(きざきむら)小作争議、王番田(おうばでん)争議などを指導した。この間、地主の娘である渋谷信子と結婚、赤いロマンスとして喧伝(けんでん)される。政治的には日本労農党系に属し、1936年(昭和11)総選挙から1942年翼賛選挙(非推薦)まで当選3回。第二次世界大戦後、日本社会党結成に参加し副委員長など歴任、また1949年(昭和24)から1980年の引退まで通算11期衆議院当選、1976年(昭和51)から副議長を務めた。昭和57年5月23日死去。著書に『幾山河を越えて』(1966)、『激動期の日本社会運動史』(1973)がある。
[荒川章二]
『『私の履歴書 第43集』(1971・日本経済新聞社)』▽『三宅正一先生を偲ぶ刊行会編・刊『農魂』(1982)』▽『三宅正一追悼刊行会著・刊『三宅正一の生涯』(1983)』▽『飯田洋著『農民運動家としての三宅正一――その思想と行動』(2006・新風舎)』