内村航平(読み)うちむらこうへい

知恵蔵 「内村航平」の解説

内村航平

1989年1月3日、福岡県北九州市生まれの体操競技選手。3歳から長崎県諫早市で育った。両親が元体操競技選手で体操クラブを運営していることから、幼い頃より自然に体操を始めた。妹も体操選手。
中学卒業と同時に、塚原直也に憧れて朝日生命体操クラブに入門東洋高等学校を経て日本体育大学体育学部体育学科に入学。2007年、ユニバーシアード団体優勝及び、種目ゆかで優勝。08年には初めてオリンピック出場し、男子体操団体で日本の銀メダル獲得に貢献するとともに、個人総合でも銀メダルを獲得。体操の10代では日本初。同年、全日本選手権個人総合優勝。
その後、世界体操競技選手権の09年ロンドン、10年ロッテルダム、11年東京と3大会連続の個人総合優勝。通算3度の優勝は女子のスベトラーナ・ホルキナ(ロシア)と並び最多。また、11年の東京大会では同時に「ロンジン・エレガンス賞」を受賞しており、本人にとって金メダル以上の喜びであった様子。
11年春に大学を卒業し、現在(12年8月)はコナミ体操競技部に所属。
12年、ロンドン・オリンピックは団体総合予選、団体決勝、個人総合ともに全6種目、加えて種目別ゆかに出場。初めの団体総合予選では、あん馬着地が乱れるなど出だし好調とはいかなかったものの、個人総合で金メダルを獲得。これは、日本人選手として具志堅幸司以来28年ぶりの快挙。また、オリンピックと世界体操競技選手権の両方を制した初の日本人となった。同大会では、加えて得意のゆかで銀メダルを獲得。抽選で1番手の演技となり、ウォーミングアップが出来ないということで、最高G難度の大技「リ・ジョンソン(後方かかえ込み2回宙返り3回ひねり)」は封印しての演技だったが、オリジナルの連続技等で同じ難度点をとり、また、美しさを評価するEスコアはトップだった。本人の目指す「美しい体操」が確かに評価されている。「結果ではなくて、表現したいもの、理想の体操が自分のなかにはある。でも、それができても、終着点ではないかも知れない」と話す言葉からは、芸術家のような空気が感じられる。
あん馬が苦手と評されることもあるが、「それがあったから、あん馬は頑張ってきた」という、大きく劣る種目のないオールラウンダーであり、それぞれ優勝を狙えるレベルの力を持つ。また、優勝を重ねても、さらに上のレベルの演技を目指し人一倍の練習を重ねる努力家。私生活では、野菜嫌いでお菓子好きといった横顔も持つ。

(菘(すずな)あつこ  フリーランス・ライター / 2012年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「内村航平」の意味・わかりやすい解説

内村航平
うちむらこうへい

[生]1989.1.3. 福岡,北九州
体操競技選手。両親が経営する長崎県諫早市の体操クラブで 3歳から体操を始めた。高等学校3年生だった 2006年に全日本ジュニア選手権大会の個人総合で初優勝。大学2年生(19歳)で迎えた 2008年北京オリンピック競技大会では,団体総合と個人総合で銀メダルを獲得。日本人体操選手で初めて,10代でオリンピック競技大会のメダルを獲得した。2009~2011年の世界選手権大会では,個人総合で前人未到の 3連覇を達成した。これは,体操競技の世界選手権大会最多優勝選手として『ギネス世界記録』に認定された。続く 2012年ロンドン・オリンピック競技大会では,個人総合金メダル。日本選手では 1984年ロサンゼルス・オリンピック競技大会の具志堅幸司以来,28年ぶり 4人目の快挙だった。加えて,団体と種目別の床運動でも銀メダルを獲得している。美しい空中姿勢と,ぴたりと止まる着地には定評があり,世界屈指のオールラウンダーとして知られる。ロンドン・オリンピックの個人総合で得点が 1位だったのは跳馬のみだったが,全種目で高得点を上げ,群を抜く総合力で金メダルを手にした。2012年紫綬褒章を受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内村航平」の解説

内村航平 うちむら-こうへい

1989- 平成時代の体操選手。
昭和64年1月3日生まれ。父母ともに体操選手で,3歳から体操をはじめる。中学卒業後,朝日生命体操クラブにはいり,東洋高,日本体育大とすすむ。高校時代には高校選抜,全日本ジュニアで個人総合優勝。平成19年全日本学生選手権の個人総合優勝。20年NHK杯の個人総合2位となり北京五輪代表に選出され,団体総合準優勝に貢献し,個人総合ではあん馬で2度落下するも盛り返し,銀メダルを獲得した。同ゆか運動は5位。21年全日本選手権の個人総合で2連覇。同年ロンドンでの世界選手権で個人総合金メダル。22年ロッテルダムの世界選手権で個人総合を連覇(団体総合2位,種目別ゆか2位・平行棒3位)。23年東京の世界選手権では体操史上初の個人総合3連覇をはたした(団体総合2位,種目別ゆか優勝・鉄棒3位・つり輪6位)。24年ロンドン五輪の個人総合で金メダル,団体で銀メダル,種目別ゆかで銀メダル。26年圧倒的な強さで世界選手権個人総合5連覇をはたす。27年NHK杯7連覇。コナミ所属。福岡県出身。日本体育大卒。

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