コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

体操競技 たいそうきょうぎ artistic gymnastics

6件 の用語解説(体操競技の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

体操競技
たいそうきょうぎ
artistic gymnastics

体操の技術と美しさなどを争う競技。フリードリヒ・L.ヤーン器械運動が発達し,ヨーロッパに広がって競技形式を整えた。 1881年ベルギーの呼びかけでヨーロッパ体操連盟 (→国際体操連盟 ) が創立。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

知恵蔵2015の解説

体操競技

技の難しさ、ダイナミックさ、美しさを競う評定競技。男子ではゆか、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒の6種目、女子では跳馬、段違い平行棒、平均台、ゆかの4種目がある。1996年のアトランタ五輪まで規定演技が行われていたが、現在は自由演技のみで競う。男女ともオリンピック大会、世界選手権大会では、団体総合は予選(競技I)を勝ち抜いた8チームによって決勝が行われる(競技IV)。競技Iはまた、個人総合決勝(競技II)、種目別決勝(競技III)の予選も兼ねる。なお、団体総合決勝、個人総合決勝、種目別決勝では、予選の得点に関係なく、決勝の得点のみで順位が決定する。日本の男子は1960年ローマ五輪から78年ストラスブールの世界選手権大会まで世界の王座に君臨していた。その後、しばらく低迷が続いたが、2004年アテネ五輪で25年ぶりに団体優勝を果たし再び王座に返り咲いた。また、05年の世界選手権大会(個人総合、種目別)でも、冨田洋之が個人総合優勝を飾っている。

(佐野淳 筑波大学助教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

たいそう‐きょうぎ〔タイサウキヤウギ〕【体操競技】

徒手または器械用具を用いて技術の優劣を競う競技。男子は床運動鞍馬(あんば)つり輪跳馬平行棒鉄棒の6種目、女子は跳馬・段違い平行棒平均台・床運動の4種目。団体・個人・種目別の順に行われ、それぞれ規定・自由演技に分けて採点し、順位を決める。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

体操競技【たいそうきょうぎ】

徒手または器械を用いて体操を行い,その技を競う競技。国際競技では,男子は床(ゆか)運動鉄棒平行棒あん馬つり輪跳馬の6種目,女子は床運動,平均台段違い平行棒,跳馬の4種目が正式種目。
→関連項目遠藤幸雄跳び箱ミュンヘンオリンピック(1972年)

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

大辞林 第三版の解説

たいそうきょうぎ【体操競技】

徒手または用具を用いて、回転・支持・跳躍などの技量を競う競技。男子は床運動・鞍馬あんば・吊り輪・跳馬・平行棒・鉄棒の六種目、女子は床運動・跳馬・段違い平行棒・平均台の四種目。それぞれ規定演技と自由演技がある。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

体操競技
たいそうきょうぎ
artistic gymnastics

国際体操連盟(FIG=Fdration Internationale de Gymnastique)が制定する採点規則に基づいて、各種の器械を使用して行う体操技術の優劣を競う競技のこと。より高度な技とより優れたできばえを競う採点競技の一つで、技の難易度・美しさ・雄大さ・安定性などの観点で複数の審判員が採点し、そこから得点を算出して順位を競う競技である。一般的にはオリンピック種目としてFIG統括のもとに行われている体操競技をさす。オリンピックでは第1回アテネ大会から正式種目となり、日本男子は1932年の第10回ロサンゼルス大会から参加した。
 かつて男子体操競技は、「日本のお家芸」と評されていた。オリンピック大会団体総合5連勝(1960年ローマ大会~1976年モントリオール大会)、世界選手権大会団体総合5連勝(1962年プラハ大会~1978年ストラスブール大会)の、足掛け19年間にわたる通算10連勝という偉業は現在でも多くの体操ファンに語り継がれている。
 その後、オリンピック団体総合では1992年バルセロナ大会の銅メダル以降メダルから遠ざかり、2004年オリンピック・アテネ大会の団体総合で、1976年モントリオール大会以来実に28年ぶりに金メダルを獲得した。
 団体総合ではメダルから遠ざかっていたが、個人総合や種目別では具志堅幸司(ぐしけんこうじ)(1956― )、森末慎二(もりすえしんじ)(1957― )らが活躍した。
 その後、冨田洋之(ひろゆき)(1980― )が、2005年世界選手権メルボルン大会において、日本人選手として1974年バルナ大会の笠松茂(1947― )以来31年ぶりに個人総合金メダルを獲得した。この大会では、冨田が金メダル、水鳥寿思(ひさし)(1980― )が銀メダルを獲得しており、「体操ニッポン」復活の兆しを周囲に強く印象づけた。近年では、内村航平(こうへい)(1989― )が、2009年世界選手権ロンドン大会個人総合決勝で金メダルを獲得し、その後の2010年ロッテルダム大会、2011年東京大会も金メダルを獲得して日本人初の世界選手権3連覇を果たした。また、内村は2012年オリンピック・ロンドン大会個人総合で金メダルを獲得し、日本人として初のオリンピック、世界選手権の両チャンピオンとなった。
 なお、これまでに日本からは11名が国際体操界への貢献が認められ、国際体操殿堂(International Gymnastics Hall of Fame、アメリカ合衆国オクラホマシティ)入りを果たしている。殿堂入りしたのは1997年の竹本正男(1919―2007)、1998年の小野喬(たかし)(1931― )、1999年の遠藤幸雄(ゆきお)(1937―2009)、2000年の松田治廣(はるひろ)(1939― )、2001年の加藤澤男(さわお)(1946― )、2002年の池田敬子(1933― )、2004年の早田卓次(1940― )、2005年の中山彰規(あきのり)(1943― )、2006年の監物永三(けんもつえいぞう)(1948― )、2007年の笠松茂、2008年の鶴見修治(1938― )である。[三輪康廣]

歴史

この競技の歴史的起源は、ヤーンF. L. Jahn(1778―1852)が命名したツルネンTurnenという運動にさかのぼる。器械を使用して行う運動は、紀元前2000年ごろの古代ギリシア時代にも戦技訓練として行われていたが、器械運動として教育的な目的をもって実施されるようになったのは19世紀の初めである。ドイツ体操の父といわれるヤーンは、ナポレオン戦争に敗れた祖国の青少年の身体と精神を鍛練するために、1811年、ベルリン郊外のハーゼンハイデの森に体操場をつくり、あん馬、木馬、鉄棒(水平棒)、平行棒、平均台などの器械運動を総合的に行わせた。各器具について種々の運動形式を考え、美的効果とともに高度な身体支配能力を要求し、さらに競技的性格を与えた。その体操場に集まってきた青少年たちが、それらの器械を使って、さまざまな運動のできばえを競い合うようになったことが、体操競技の芽生えと考えられている。この体操がクラブ体操として普及し、競技化されていった。1814年に第1回の競技会が行われ、種目は跳躍、木馬運動、懸垂、懸垂移行、登はんのほか、走、相撲(すもう)様対人競技などであった。その後1832年にスイスのアーラウで体操競技が行われたという記録もある。
 このようにして体操競技は、ドイツ体操を基としてヨーロッパ各国に普及し、体操祭の形で、ほかの競技とともに行われてきたが、その内容や規則などは、かなり単純なものであった。1881年に国際体操連盟(FIG)が創設され、1896年の第1回オリンピック・アテネ大会から「体操」として競技が実施されている。なお、女子体操競技が加わったのは1928年からである。アテネ大会では、体操の母国ドイツが優勝している。体操競技が第1回大会からオリンピック種目に採用された背景には、1881年にベルギーの体操連盟会長のキュペルスN. J. Cuperus(1881―1924)が、ベルギー、フランス、オランダの代表を集め、初めての国際協約をつくり、早くからヨーロッパ各国で競技会が行われはじめたことと、キュペルスによってFIGの基盤がつくられたからといわれる。キュペルスは、後にFIGの初代会長に就任している。1903年には第1回世界選手権アントワープ大会が開催され、しだいに普及発展していった。以後、1952年オリンピック・ヘルシンキ大会におけるソ連チームの衝撃的な登場まで、ドイツ、イタリア、ブルガリアなどのヨーロッパ諸国とアメリカが主導的な地位を占めていた。イタリアは、1908年の第4回ロンドン大会からの活躍が目だち、個人総合では第一次世界大戦で中止になった大会を挟んで3連勝、団体戦でも1912年の第5回ストックホルム大会から1924年の第8回パリ大会まで3連勝を果たしている。[三輪康廣]

日本の体操競技

日本では、1870年代に体操器械が導入され、外国人指導者が招聘(しょうへい)されたが、競技としての体操の起源は、1902年(明治35)の慶応義塾器械体操倶楽部(くらぶ)の発足にみることができる。慶応義塾は1904年に第1回部内競技会を行っているが、この競技会には東京府師範学校(のちに東京府青山師範学校)の選手も招待されている。体操競技が組織的に行われるようになったのは1911年ごろからで、慶応義塾、麻布中学校、成城中学校、青山師範などの間で春秋1回、対抗競技会や連合競技会を行ったのが最初とされている。
 その後1930年(昭和5)に大谷武一(ぶいち)(1887―1966)の提唱により、「全日本体操連盟」(財団法人日本体操協会の前身)が発足し、初代会長に平沼亮三(りょうぞう)(1879―1959)が就任して組織的基盤が確立した。平沼はそれまで無統制であった体操界を一つにまとめ、全日本体操競技選手権大会、明治神宮競技会を開催するなど体操の普及発展に尽力した。そして1932年の第10回オリンピック・ロサンゼルス大会に初めて選手団を派遣して、日本体操界は国際競技会への第一歩を踏み出した。参加した男子チームは、参加5か国中5位であったが、ヨーロッパやアメリカ選手の妙技に接し、新しい技と技術の方向を学んで現在の基礎をつくった(この大会でもイタリアの活躍は目覚ましく、団体総合、個人総合ともに優勝を成し遂げている)。ついで1936年第11回オリンピック・ベルリン大会に男子チームが参加、14か国中第9位となった。しかし第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)により中断(1940年第12回オリンピック・東京大会中止、1944年第13回オリンピック・ロンドン大会中止、1948年第14回オリンピック・ロンドン大会不参加)せざるをえなかった。[三輪康廣]
第二次世界大戦後の体操競技
戦後の体操競技は、他のスポーツと同じく国民体育大会と国際交流により復活した。戦後の国際交流の始まりは、1950年(昭和25)にムーア監督ほか3名の選手からなるアメリカチームを招待しての日米対抗競技会である。この大会の収穫の一つは、FIGの副会長であったムーアの日本体操界への指導と助言であり、もう一つは、アメリカ選手の高度なタンブリング(跳躍・回転運動)の技術を目の当たりにしたことであった。
 1952年、第15回オリンピック・ヘルシンキ大会に、男子5人の選手が参加し、団体総合5位、種目別徒手体操(現在のゆか運動。1962年まで徒手と表記された)で上迫忠夫(うえさこただお)(1921―1986)が銀メダル、跳馬で竹本正男が銀メダル、上迫、小野喬が銅メダルと、日本体操初のメダルを獲得した。この大会で注目されたのは、オリンピック初参加のソ連がすばらしい技を発表して、男女とも圧倒的勝利をおさめたことである。
 1954年、第13回世界選手権ローマ大会で、男子は団体総合でソ連に次いで銀メダル、種目別徒手で竹本正男が、女子平均台で田中敬子(現、池田)が金メダルを獲得した。
 1956年、第16回オリンピック・メルボルン大会で、男子はソ連に次いで団体総合銀メダル、個人総合では小野喬が銀メダル、種目別決勝の徒手(ゆか運動)で相原信行(1934―2013)が銀メダル、あん馬で小野が銀メダル、つり輪で竹本正男、久保田正躬(まさみ)(1931― )が銅メダル、平行棒で久保田が銀メダル、小野、竹本が銅メダル、鉄棒で小野がオリンピック初の金メダルを獲得した。竹本が銅メダル。初参加の女子は団体総合6位に入賞した。
 1958年、第14回世界選手権モスクワ大会では、男子団体総合はソ連に次いで銀メダル、男子個人総合で小野喬が銀メダル、種目別徒手で竹本正男が金メダル。女子は団体総合4位に入賞している。[三輪康廣]
日本体操の黄金期
1960年、第17回オリンピック・ローマ大会では、男子は団体総合でソ連を破って金メダルを獲得し、オリンピックおよび世界選手権10連勝のスタートの大会となった。個人総合は小野喬が銀メダル、種目別鉄棒と跳馬で小野が、徒手で相原信行が金メダルを獲得。つり輪と平行棒で小野が銅、あん馬で鶴見修治が銅メダルを獲得した。女子も団体総合4位に入賞した。
 1962年、第15回世界選手権プラハ大会では、男子は世界選手権大会初の団体総合金メダルを獲得。個人総合は遠藤幸雄が銀メダル、種目別徒手で相原信行と遠藤が金メダル、鉄棒で小野喬が金メダル。女子も団体総合で銅メダルを獲得した。
 1964年、第18回オリンピック・東京大会では、男子は団体総合2連勝、個人総合で遠藤幸雄が初優勝、鶴見修治が銀メダル、種目別では平行棒で遠藤、つり輪で早田卓次、跳馬で山下治廣(現、松田)がそれぞれ優勝。女子も団体総合第3位に入賞した。
 1966年、第16回世界選手権ドルトムント大会は、男子団体総合金メダル。個人総合で鶴見修治が銀メダル、中山彰規が銅メダル。種目別ゆかで中山が金メダル、跳馬で松田治廣が金メダル、鉄棒で中山が金メダル。女子は団体総合銅メダルであった。
 1968年、第19回オリンピック・メキシコシティ大会で、男子は団体総合で史上初の3連勝、個人総合で加藤澤男がソ連のボローニンMikhail Voronin(1945― )を相手に劇的な逆転優勝を成し遂げ、中山彰規が銅メダルを獲得。種目別でも加藤澤男がゆか、中山が鉄棒、平行棒、つり輪の3種目で優勝。ゆかで中山が銀、加藤武司(1942―1982)が銅、鉄棒で監物永三が銅、つり輪で加藤澤男が銅、跳馬で遠藤幸男が銀メダルを獲得した。女子は団体総合4位。
 1970年、第17回世界選手権リュブリアナ大会は、男子団体総合3連勝、個人総合で監物永三が優勝。種目別ゆかで中山彰規、つり輪で中山、跳馬で塚原光男(1947― )、平行棒で中山、鉄棒で監物がそれぞれ金メダルを獲得した。女子は団体総合で4位入賞。
 1972年、第20回オリンピック・ミュンヘン大会で、男子は団体総合4連勝、個人総合では加藤澤男が金、監物永三が銀、中山彰規が銅メダルを獲得した。鉄棒で塚原光男がウルトラC(かつての最高難度C以上)の技「月面宙返り」を決めて優勝、中山がつり輪で2連勝した。また平行棒で加藤が金、笠松茂が銀、監物が銅メダルを獲得した。
 1974年、第18回世界選手権バルナ大会では、男子団体総合4連勝。個人総合は笠松茂が金メダル。種目別ゆか、跳馬で笠松金メダル、平行棒で監物永三が金メダルを獲得。女子は、団体総合6位入賞。
 1976年、第21回オリンピック・モントリオール大会で、男子は団体総合5連勝。個人総合で加藤澤男が銀、塚原光男が銅メダルを獲得。平行棒で加藤、鉄棒で塚原が2連勝した。平行棒では塚原が銅、鉄棒では監物永三が銀、あん馬では監物が銀、跳馬では塚原が銀、梶山広司(1953― )が銅メダルを獲得した。女子は、団体総合8位入賞。
 1978年、第19回世界選手権ストラスブール大会では、男子は団体総合で優勝。オリンピック5連勝の間に、オリンピックの中間年に開催される世界選手権大会にも5連勝した。種目別跳馬で清水順一(1953― )が金メダル、平行棒で監物永三が金メダル、鉄棒で笠松茂が金メダルを獲得。女子は団体総合で7位入賞。[三輪康廣]
日本体操の低迷期
1979年、第20回世界選手権フォートワース大会では、男子団体総合は2位、優勝はソ連であった。女子は団体総合7位であった。
 1980年、第22回オリンピック・モスクワ大会は、ソ連のアフガニスタン侵攻を理由にアメリカがボイコットを提唱し、日本をはじめ多くの国が同調して参加を取りやめた。ソ連が団体総合で優勝、1956年の第16回オリンピック・メルボルン大会以来24年ぶりに五輪の王座についた。
 1981年、第21回世界選手権モスクワ大会で、日本男子は団体総合2位。種目別平行棒で具志堅幸司が金メダルを獲得している。女子団体総合も11位に後退した。
 1983年、第22回世界選手権ブダペスト大会では、男子団体総合でソ連が優勝。日本は3位。個人総合で具志堅幸司が銀メダル、種目別では具志堅がつり輪で金メダルを獲得した。女子団体総合は12位。
 1984年、第23回オリンピック・ロサンゼルス大会では、ソ連、東欧諸国の大部分がボイコットしたが、ルーマニアとユーゴスラビアの2か国が選手団を派遣し、中国が初めて参加した。ソ連は不参加であったが、アメリカ、中国の躍進が目覚ましく、男子団体総合はアメリカが優勝、中国が2位、日本は3位であった。個人総合で具志堅幸司が逆転優勝。具志堅はつり輪でも優勝。森末慎二が鉄棒で優勝した。女子団体総合は6位であった。
 1985年、第23回世界選手権モントリオール大会では、男子団体総合4位。女子団体総合は10位。
 1987年、第24回世界選手権ロッテルダム大会は、男子団体総合5位。女子団体総合9位。
 1988年、第24回オリンピック・ソウル大会では、男子団体総合3位。種目別ゆかで池谷幸雄(いけたにゆきお)(1970― )が銅メダルを獲得。女子団体総合は12位。
 1989年、第25回世界選手権シュトゥットガルト大会では、男子団体総合は4位。女子団体総合は11位であった。
 1991年、第26回世界選手権インディアナポリス大会では、男子団体総合は4位。女子団体総合は13位と大きく後退し、翌年のオリンピック・バルセロナ大会への団体出場権を逸した。
 1992年、第27回世界選手権パリ大会は、種目別大会であった。
 1992年、第25回オリンピック・バルセロナ大会では、男子団体総合で銅メダルを獲得。個人総合は畠田好章(はたけだよしあき)(1972― )の13位が最高であった。種目別は、ゆかで池谷幸雄が銀メダル、平行棒で松永政行(1972― )が銅メダルを獲得した。
 1993年、第28回世界選手権バーミンガム大会では、種目別世界選手権パリ大会に引き続き、従来の世界選手権大会とは異なる方式(個人総合・種目別のみ)での競技方法であった。予選における成績に基づいて、個人総合および種目別の決勝進出者が決定された。結果的に日本選手の個人総合決勝出場は、男子の田中光(ひかる)(1972― )1名のみ(16位)、種目別決勝へはだれも出場できなかった。
 1994年、第29回世界選手権ブリスベーン大会は、パリ大会同様、個人総合および種目別のみの大会であった。
 1994年、第30回世界選手権ドルトムント大会は団体総合のみを競う初めての世界選手権大会で、予選の上位6チームが持ち点なしで自由演技のみで決勝を行うという、従来にない変則的な競技会であった。結果的には、日本男子は予選を6位(規定3位、自由7位)で通過し、決勝も6位であった。女子は9位であった。1チーム7名の選手が登場、そのうちの6名が演技し、上位5名の得点がチーム得点となる、いわゆる7-6-5方式の競技会で、3分アップ前の時点で、コーチまたは選手が口頭で主審と役員に演技しない選手を申告した。
 1995年、アジアで初めて開催された第31回世界選手権鯖江(さばえ)大会は、56か国、891名の役員・選手を迎えて開催された。日本は、世界選手権では14年ぶりに男子団体総合銀メダルを獲得した。規定演技については、日本が求めてきた方向性(技の理想像の実施)が評価され、トップにたつことができたが、自由演技の得点は6位であった。女子は団体総合10位であった。
 1996年、第32回世界選手権サンファン大会は、種目別のみの大会として開催された。
 1996年、第26回オリンピック・アトランタ大会は、規定演技採用最後の歴史的なオリンピックであった。日本は男子団体総合10位、女子団体総合12位、そしてメダルなしという結果であった。
 1997年、第33回世界選手権ローザンヌ大会では、男子は実力をほぼ出し切って団体総合4位に入賞し、わずかではあったが「体操日本」復活の兆しを周囲に印象づけた。個人総合は塚原直也(1977― )が3位となった。個人総合では、1984年、第23回オリンピック・ロサンゼルス大会における具志堅幸司以来のメダル獲得であった。女子は団体総合9位。
 1998年、ワールドカップ決勝鯖江大会は、1990年のブリュッセル大会以来8年ぶりに開催された。1975年、第1回ロンドン大会から数えて9回目のワールドカップであった。
 1999年、第34回世界選手権天津(てんしん)大会では、男子団体総合は4位であった。また個人総合では塚原直也が2位と健闘した。女子団体総合は予選で13位に終わり、翌年のオリンピック・シドニー大会の団体総合出場権を逃す結果となった。
 2000年、第27回オリンピック・シドニー大会の男子団体総合は4位にとどまったが、前回のオリンピックでの10位から大きく巻き返した。しかし個人総合、種目別ではふるわず、オリンピック2大会連続でメダルを獲得できなかった。
 2001年、第35回世界選手権ゲント大会はテロによる社会情勢不安のため派遣が中止された。
 2002年、第36回世界選手権デブレツェン大会は種目別のみの大会で、男子は、あん馬で鹿島丈博(かしまたけひろ)(1980― )、つり輪で冨田洋之、鉄棒で米田功(1977― )が決勝に進出した(鹿島が銅メダル)。女子は全員が予選で敗退した。[三輪康廣]
日本体操の復活
2003年、第37回世界選手権アナハイム大会は、男子団体総合は1位が中国、2位がアメリカ、3位が日本で、日本は久々に団体総合でのメダルを獲得した。男子個人総合は冨田洋之が銅メダル、男子種目別は、あん馬で鹿島丈博がこの種目で日本人初の金メダルを獲得、鹿島は鉄棒でも金メダルを獲得した。日本の体操がふたたび世界に通用し始めたことが実感できた大会であった。女子団体総合は14位であった。
 2004年、第28回オリンピック・アテネ大会は団体総合予選で6―5―4制、同決勝では6―3―3制が適用された。日本は男子団体総合で1976年モントリオール大会以来28年ぶりの金メダルを獲得した。男子種目別は、あん馬で鹿島丈博が銅メダル、平行棒で冨田洋之が銀メダル、鉄棒で米田功が銅メダルであった。
 2005年、第38回世界選手権メルボルン大会は個人総合・種目別の大会であった。男子個人総合では冨田洋之が金メダルを獲得した。
 2006年、第39回世界選手権オーフス大会は、男子団体総合の1位が中国、2位がロシア、3位が日本であった。男子個人総合では冨田洋之が銀メダルで3大会連続のメダル獲得。
 2007年、第40回世界選手権シュトゥットガルト大会では男子団体総合1位が中国、2位が日本、3位がドイツであった。男子個人総合は水鳥寿思が銅メダル。女子団体総合は12位。
 2008年、第29回オリンピック・北京大会の男子団体総合で日本は2位。優勝は中国、3位はアメリカであった。男子個人総合では、内村航平が銅メダルを獲得した。女子団体総合決勝は1位が中国、日本は5位入賞を果たした。
 2009年、第41回世界選手権ロンドン大会は個人総合と種目別の大会であった。男子個人総合は内村航平が初優勝で金メダルを獲得。女子個人総合は鶴見虹子(こうこ)(1992― )が1、2位のアメリカ勢に次いで銅メダルを獲得した。鶴見は種目別段違い平行棒で銀メダル、平均台で6位入賞という好結果で大会を終えた。
 2010年、第42回世界選手権ロッテルダム大会では、日本は男子団体総合で2位。男子個人総合は内村航平が優勝。女子団体総合は5位に入賞した。
 2011年、第43回世界選手権東京大会は、男子団体総合2位、男子個人総合で内村航平が1位、山室光史(こうじ)(1989― )が3位。内村は男子種目別ゆかでも1位となった。女子は団体総合7位であった。
 2012年、オリンピック・ロンドン大会では、日本は男子団体総合で2位、優勝は中国、3位はイギリスであった。男子個人総合で内村航平が金メダルを獲得。内村は種目別ゆかで銀メダルを獲得している。女子は団体総合8位であった。[三輪康廣]

世界の体操競技

かつて、男子体操競技界は、日本を中心としたソ連(ソビエト連邦)との二極時代が続いていた。その状況が大きく変化したのは、ソ連崩壊という歴史的変革の時期であった。その後、中国の台頭が顕著になって、日本は低迷期が続いた。チェコスロバキア(1993年にチェコ共和国、スロバキア共和国に分離)など、ソ連崩壊後の旧社会主義国では国家レベルの強化策がしだいに縮小され、競技力は低下していった。旧ソ連構成国のなかではロシアとウクライナが実力を堅持している。旧社会主義国では、ルーマニアの女子がロシアに次いで高い競技力を保持し、世界トップレベルにある。
 近年は、男女ともにアメリカの強さが際だっている。
 女子については、男子同様ロシアが美しい体操を基軸とした演技構成を前面に押し出している一方、アメリカ、中国、ルーマニアが高難度技を積極的に取り入れた演技構成でしのぎを削っている。
 世界の体操競技界は、男子団体総合は日本、中国、アメリカ、韓国、ドイツなどが中心となり、女子団体総合はアメリカ、ロシア、中国、ルーマニアなどが強く、それ以下12位までの各国はほとんど実力差がない。[三輪康廣]

競技内容

体操競技の場合、その大会運営の良否は、施設やセッティング器械そのものに影響されるところが大きい。使用する器械はもちろん完備されていなければならない。また、滑り止めに使う炭酸マグネシウム、平行棒や鉄棒のバーをみがく布やすり、採点票、得点表、公開採点板、電光掲示板(得点掲示板)なども主催あるいは主管団体は用意する必要がある。会場には隣接する練習会場(サブアリーナ)が必要とされ、本会場(競技アリーナ)には、認定器械が種目移動順序(オリンピック・ローテーション=男子:ゆか→あん馬→つり輪→跳馬→平行棒→鉄棒、女子:跳馬→段違い平行棒→平均台→ゆか)を考慮した所定の場所に配置される。体操競技は器械を使用して行う競技だけに、その規格、規準はきわめて重要である。
 FIGでは、世界選手権大会やオリンピックで使用する器械構造、寸度および規格を定めており、日本体操協会においても器械・器具に関する検定委員会があり、公式競技用として認定されたものでなければ使用できない。
 団体競技においては、男女ともチームの統一したユニフォームでの出場が義務づけられている。また、男子においては、ゆか、跳馬を除き長い競技用タイツと履物(シューズ)で演技しなければならない。ゆか、跳馬ではショートパンツや素足での演技が認められている。入場口に集合した審判員、記録係などの役員は、進行係の指示により入場する。続いてプラカード、選手の順に入場行進し(原則として男子6チーム、女子4チーム)、最初の種目の位置に整列し、その後1人30秒間の練習(男子平行棒、女子段違い平行棒のみ50秒間)が終了すると、進行係の指示に従って、主任審判員の合図とともに競技が開始される。練習開始前にチームリーダーは、選手の演技順を審判団に申告する。D1(主任)審判員は競技開始の合図として、チームリーダー、選手、審判員に緑の小旗をあげる(または役員に指示し緑のランプを点灯させる)。選手はD1審判員に向かって手をあげ、演技の開始の意志を知らせる。
 競技種目は、男子はゆか、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒の6種目、女子は跳馬、段違い平行棒、平均台、ゆかの4種目があり、自由演技のみで競技を行う。自由演技は、各種目の「技グループ:男子」や「構成要素:女子」を考慮しながら、各選手が得意な技を自由に組み合せ、自由な方法で行うものである。それぞれの選手の身体条件等の個人差によって、組み入れる技、組合せ(実施する技の順番)、リズム、タイミングなど表現方法も異なってくる。採点要素である難度、特別要求、加点、演技実施をいかにして個性的な演技に仕上げるかが課題である。すなわち自由演技の見どころは、各選手がどんな独創的な技を、どのような組合せで、いかに大きく、しかも美しく安定して実施するかにある。女子のゆかの演技にはかならず伴奏音楽をつけることが要求されており、その優劣および音楽と演技の調和も採点の重要なポイントになる。
 事故防止と選手の精神的援助のため、1名の補助者が、つり輪、跳馬、平行棒、段違い平行棒、鉄棒のそばに立つことが許される。演技中に器械設備上の不備が生じた場合、あるいは競技会組織者側の不測の事態が生じた場合を除き、いかなる場合も復行(やり直し)は許されない。[三輪康廣]

競技方法

国際競技会が始まった当初は、競技規則も簡単なものであったため、オリンピックの大会ごとに競技運営方法が異なっていた。たとえば、1908年の第4回オリンピック・ロンドン大会では出場者数もまちまちで、少ない国では16名、多い国では60名も出場していた。その後、各チームとも2桁(けた)の人数に統一された。1924年のオリンピック・パリ大会からは8人制が採用され、1956年の第16回オリンピック・メルボルン大会から2008年のオリンピック・北京大会まで6人制が採用されてきた。2012年のオリンピック・ロンドン大会では5人制が採用された。
 競技形式は、かつては団体総合選手権、個人総合選手権、種目別決勝の3競技であったが、団体総合予選がすべての競技の予選(競技)となり、新たに団体総合決勝(競技)が設定された。
 現行(2012年時点)規則では、1チーム最大6名の選手(オリンピック・ロンドン大会では最大5名)のなかから、各種目5名を選んで演技し、そのうち上位4名の得点の総合点で順位を決定する。オリンピック大会、世界選手権大会では、競技を団体総合予選とし、上位8チームがさらに団体総合決勝(競技)に進む。
 個人総合決勝(競技)は、団体総合予選での個人成績により上位者から男女各24名が出場し、持ち点なしで改めて男子6種目、女子4種目の演技を実施し、その総合得点で順位を決定する。ただし、1か国から出場できるのは2名までである。
 種目別決勝(競技)は、団体総合予選の各種目の得点を比較し、その上位8名が出場し、持ち点なしで改めて演技を実施して、その得点で順位を決定する。ただし、1か国から出場できるのは2名までである。
 団体総合決勝(競技)は、団体総合予選(競技)を勝ち抜いた上位8チームが、1チーム最大6名(オリンピック・ロンドン大会では最大5名)のなかから、各種目3名を選んで演技し、その3名すべての得点により順位を決定する。なお、団体総合決勝(競技)においても競技での持ち点はない。
 実際のFIG主催の公式競技会やオリンピック大会においては、競技―競技―競技―競技の順で実施される。
 2012年、オリンピック・ロンドン大会では、チーム参加国のエントリー数が6名から5名に減らされた。したがって、予選(競技)では5名がエントリーして、4名が演技し、上位3名の得点合計で団体総合順位が決定し、競技での得点が団体総合決勝(競技)、個人総合決勝(競技)、種目別決勝(競技)に進出するための順位決定の得点となる。団体総合決勝では5名がエントリーして、3名が演技し、この3名の得点の合計が各種目の合計点となる5―3―3制が初めて採用された。[三輪康廣]

審判員と採点規則

FIGの定めによる競技方法や採点規則については、2006年度版採点規則発行時のルール改正により、大幅な変更がなされた。体操競技は採点競技であることから、FIG技術委員会が十分検討して作成した採点規則(Code of Points)により、審判員が客観的評価を下せるよう考慮されている。
 得点は、演技のむずかしさなど構成内容を評価するDスコア(演技価値点Difficulty Score)と演技のできばえを評価するEスコア(演技実施点Execution Score)の両者を加算して算出される。したがって、いくら高難度の技を実施しても体操競技の本質である美しさや雄大さ、安定性が伴わない演技に対しては実施減点が課せられることになり、結果的に高得点は得られなくなる。選手は自身の能力に応じたより高難度な技を、より美しく、より雄大に実施することが求められる。
 D審判員2名(1名は調整役)、E審判員5名、R審判員(レファレンス・ジャッジ、参考審判員)2名の合計9名で採点実務に携わる。D審判員2名は演技のむずかしさ(難度、組合せなどの演技価値)をチェックし、一つのDスコアを出す。5名のE審判員はそれぞれが演技実施点10点満点から減点したスコアを出し、五つのスコアのなかでもっとも高い点数と低い点数を除き、中間の三つの点数の平均によって一つのEスコアを出す。なお、R審判員2名も演技実施点をそれぞれ提示する。2名のR審判員の算出したスコアは平均され、E審判員5名により導き出されたEスコアと比較し、その差が基準内であればそのままのEスコアが、基準外であればR審判員のスコアを加味して最終的なEスコアが算出される。そして、導き出されたDスコアとEスコアを加算し、さらにペナルティー(ライン減点、タイム減点など)がある場合はそれを差し引いた得点が選手の最終得点となる。原則としてこれらはすべてコンピュータで処理され、得点が表示される。なお、最終得点の算出の総括はD審判員の調整役が行う(上記は国際競技会で適用されている得点算出手順であり、国内では採用されていない内容もある)。
(1)Dスコアの算出 スコアは、「難度点(女子ではDV)」、男子の「技グループ点」、女子の「構成要求=CR」、そして種目によっては技と技の組合せに対して与えられる「組合せ点(女子ではCV)」を加算して算出される。
 難度点は、A(0.1)、B(0.2)、C(0.3)、D(0.4)、E(0.5)、F(0.6)、G(0.7)と定められている。ただし、演じられたすべての技が難度点として加算されていくわけではなく、ルールに定められた手順によって、終末技(演技の最終の技)を含み男子は最大10個、女子は最大8個の難度点が選ばれ、Dスコアに加算される。
 また、その種目特性を考慮し、特定の技を入れたり、特定の演技構成をしたりすることによって男子は「技グループ点」、女子は「構成要求」としてDスコアに加算される。さらに種目によって、むずかしい技と技の連続に対して組合せ点がDスコアに加算される。男子はゆか、鉄棒、女子は段違い平行棒、平均台、ゆかに組合せ点を得るための条件が設定されている。それ以外の種目には組合せ点は付与されない。組合せ点は大欠点(大過失)以上のない高難度技の直接的な連続が認められた場合にのみ与えられる。難度の認定は、姿勢面や技術面の完全な実施が前提となり、不完全な実施では難度が格下げになることもある。
 Dスコアに対してのみ、コーチはD1審判員(主任審判員=調整役)に得点表示直後に口頭での質問が認められ、D1、D2、上級審判員(審判長とともに配置され、規則上の問題が発生した場合に介入する権限をもつ)が合意した場合は、Dスコアが決定される。なお、跳馬はそれぞれの跳越技の価値点(Dスコア)がすでに定められている。
(2)Eスコアの算出 Eスコアは10点を満点として、演技のできばえ(技術欠点、着地の良否、落下など)を主に0.1単位で減点し、算出する(構成面の減点や女子における芸術性の減点などもEスコアの評価対象となる)。E審判員は、技や組合せの理想像を念頭におきながら、正しい姿勢からの逸脱の度合いや姿勢欠点などを採点し、Eスコアを算出する。
 実施減点の基準は大きく、小欠点(実施減点-0.1)、中欠点(実施減点-0.3)、大欠点(実施減点-0.5)、落下・転倒(実施減点-1.0)の四つに分類されている。
 E審判員5名それぞれが評価したEスコアは、もっとも高い点数と低い点数が除かれ、中間の三つの点数の平均がEスコアとなる。女子は-0.8の実施減点区分もある。
 よく知られているペナルティーにライン減点とタイム減点がある。ライン減点があるのは、男女のゆかと跳馬である。ゆかのライン減点はフロアエリアの12メートル四方(12メートル×12メートル)にラインが引かれており(ライン内側が演技面)、このラインを踏み越すとペナルティー(減点-0.1、-0.3、-0.5)となる。跳馬のライン減点は、着地における左右のずれを判定するために助走から演技する方向に沿ってラインが2本引かれており(2本のラインの内側が着地エリア)、このラインに対して男子の場合は着地面に接触し、最終的に動きが止まるまでの踏み越しを判定する。女子の場合には着地面に接触した時点の着地位置を判定し、中央のラインを基準に減点幅が定められている。
 タイム減点があるのは 男女のゆか、女子の平均台で、規定時間内に演技を終了できなかった場合にペナルティー(減点)となる。
 審判団編成に関しては、1991年の第26回世界選手権インディアナポリス大会において、コントローラー(FIG)、主任審判員、アシスタントを含めた9名それぞれが採点実務にあたった。この初めての試みは、FIGの公正かつ正しい採点を期した思惑とは裏腹に多くの問題を残す結果となった。高得点の乱発は避けることができ、比較的大きな問題がない採点であったが、結果的には各審判員が出した点数を調整(変更)しないという原則で行われたこともあり、各審判員の採点に対するペナルティーが続出した。最終的には、審判長による判断はレッドカードが5枚、イエローカードが21枚(ともに非公式)という残念な結果であった。この大会では採点上の公平性を期するため、団体総合の規定演技は各国選手をすべて異なる班に振り分けて実施させるという特別ルールが採用され、選手のみならずコーチ陣の肉体的、精神的負担は想像以上に大きかった。
 1992年の第25回オリンピック・バルセロナ大会では、審判団編成は世界選手権インディアナポリス大会と同様であったが、結果的には女子の高得点乱発とは対照的に、男子はまったく問題がないともいえる採点であった。なお、世界選手権インディアナポリス大会で採用された、各国選手をすべて異なる班に振り分ける班編成は不評とその反省から廃止された。
 1993年版採点規則を適用した初の国際競技会であった第28回世界選手権バーミンガム大会(1993)では、結果的に各種目とも採点が甘くなり、価値点の高い演技構成でなくては高得点には結び付かないという傾向が強かったなどの問題があった。[三輪康廣]

演技実施と技のグループ・男子


ゆか
演技はアクロバット的跳躍技を主に構成され、力技、バランス技、柔軟技、倒立、コレオグラフ的な運動と組み合せ、すべてが調和したリズミカルな演技を12メートル×12メートルの演技面全面を利用して実施しなければならない。演技時間は最大70秒で下限はない。時間の超過は減点される。計時審判は終了時間を示すため、60秒と70秒に音で合図する。計時される時間は、選手の足が最初に動いたときから終末技で着地をし、両足をそろえた直立姿勢をとるまでである。規定された演技面のラインを踏み越すと減点される(ペナルティー)。
 技のグループは、(1)アクロバット技以外の技、(2)前方系のアクロバット技、(3)後方系のアクロバット技、(4)側方系、後ろとびひねり前方宙返り、前とびひねり後方宙返り系のアクロバット技である。終末技(着地に至る最終技)は、グループ(1)の技では満たすことはできない。[三輪康廣]
あん馬
演技はすべての馬体部分での多様な支持による閉脚もしくは開脚での旋回、片足振動技と交差技によって構成され、ひねりのあるなしにかかわらず、倒立を経過する運動が認められている。停止することなく、振動(体を振る動作)によって実施されなくてはならない。演技の流れが止まる力技および静止技は認められない。採点は、選手が器械に片手または両手が触れた時点から開始される。終末技は、通常馬体を超え、馬体の長軸方向に対して縦向きに、また、最後に支持した手の真横に降りなければならない。落下した場合、30秒以内に演技を再開すれば続行できる。技のグループは、(1)片足振動技と交差技、(2)旋回技、旋回ひねり技、倒立技、(3)旋回移動技(横向き、縦向き)、(4)上向き転向、下向き転向技、フロップやコンバイン技、(5)終末技である。[三輪康廣]
つり輪
演技は振動技、力技、静止技をほぼ同じ割合で構成する。これらの技や組合せは懸垂、支持、倒立などの姿勢で行われ、それらは伸腕(腕を伸ばした状態)での実施が優先される。ケーブルの揺れやケーブルを交差することは認められない。選手は直立姿勢からジャンプし、あるいは補助者に手助けされ、閉脚の正しい姿勢で懸垂しなければならない。力静止技では、深すぎる握りは許されない。技のグループは、(1)け上がりと振動技(脚前挙になるものも含む)、(2)振動倒立技(2秒静止)、(3)振動からの力静止技(脚前挙になるものを除く。2秒静止)、(4)力技と静止技(2秒静止)、(5)終末技である。[三輪康廣]
跳馬
団体種目では、演技(跳躍)は選手1名につき一度ずつだが、種目別予選および決勝の場合は二度の演技を行う。その場合、二度の演技はそれぞれ別系統の跳越技グループで、かつ第二空中局面(跳馬を突き放したあとの空中での局面)が違う技でなければならない。跳馬の演技は、助走で開始され(助走は採点されない)、跳躍板は両足をそろえて踏み切り、片手または両手での瞬時の突き放しをもって実施される。跳越技は1回、またはそれ以上のひねりや宙返りを加えることができる。種目別決勝においては、1回目の跳越技が実施された後、選手は速やかにスタート地点に戻り、D1審判の合図を受けて2回目の跳越技を実施する。助走の長さは自由であるが、25メートルを越えてはならない。採点は跳躍板を踏み切った瞬間から始められる。踏切は両足で同時に前方または後ろ向きに踏み切らなければならない。跳躍板を踏み切る前に唯一許されている技はロンダート(側方倒立回転とび4分の1ひねり後ろ向き)のみである。床面から135センチメートルの高さに設定された跳馬に手をついて跳び越すが、跳馬に正面または背面向きで、両足をそろえた直立姿勢で、跳馬の後方に着地することで終了する。着地エリアのラインはマット上にはっきりと引かれており、ラインを踏むことは許されるが踏み越してはならない。技にはそのむずかしさによってすでにDスコアが定められている。
 跳越技グループは、(1)切り返し系の技、(2)第一局面で1回ひねる技、(3)前転とび系、ヤマシタとび系、(4)第一局面で4分の1ひねる技(ツカハラとびとカサマツとび)、(4)ロンダート踏み切り技である。[三輪康廣]
平行棒
演技は、幅広いグループからおもに振動技や空中局面を伴う技を組合せて構成され、さまざまな懸垂や支持姿勢の技を連続して行う。選手は両足をそろえた直立姿勢から、または直立姿勢から助走して演技を開始しなければならない。片足を振ったり、ステップを踏んだりして始めることは許されない。演技は、片手あるいは両手が器械に触れたときに開始され、採点は足が床から離れた瞬間に始められる。演技中、3回を超える1秒以上の停止は許されない。開始技のために跳躍板を着地マットの上に置いて使用することができる。技のグループは、(1)両棒での支持技、(2)腕支持振動技、(3)単棒または両棒での長懸垂振動技、(4)逆懸垂振動技、(5)終末技である。[三輪康廣]
鉄棒
演技は器械の特性を生かし、さまざまな握り手によってバーに近づいたり離れたりする振動技、ひねり技、手放し技の流動的な連続によってダイナミックに表現されなければならない。選手は両足をそろえた直立姿勢または短い助走からジャンプまたは補助者により正しい姿勢で懸垂姿勢に入らなければならない。採点は選手の足がマットから離れたときから開始される。片手懸垂の技はバーの下を最大2回通過することが認められている。落下した場合には、30秒以内に鉄棒に戻れば演技を続行できる。技のグループは、(1)ひねりを伴うまたは伴わない懸垂振動技、(2)手放し技、(3)バーに近い技、(4)大逆手または背面での技、バーに対して背面の技、(5)終末技である。[三輪康廣]

演技の構成・女子


跳馬
団体総合予選、団体総合決勝、個人総合決勝では演技(跳躍)は一度のみだが、種目別決勝への出場を希望する選手は、予選および決勝で二度の演技を行い、その得点の平均が最終得点となる。二度の演技は、第二空中局面が異なっていなければならない。跳躍技には、そのむずかしさによってDスコアが定められている。
 選手は跳躍を開始する前に、難度表にある跳躍技から実施予定の跳躍技番号を表示しなければならない。すべての跳躍は、125センチメートルの高さに設定された跳躍台(跳馬)に両手を着いて実施しなければならない。ロンダート入りの跳躍技を行うときは、組織委員会が用意したセーフティカラー(補助用マット)を正しく使用しなければならない。また、一度の演技の場合には跳躍板および跳躍台に触れていなければ2回までの助走が許され、二度の演技の場合には3回まで助走が許される。助走の長さは選手が自由に決めることができるが、25メートルを越えてはならない。
 跳躍技は四つのグループに分類されており、それぞれ跳躍技番号をもっている。跳躍技のグループは、(1)第一および第二空中局面でひねりを伴うまたは伴わない、宙返りのない跳躍技(倒立回転とび、ヤマシタとび、ロンダート入り)、(2)第一空中局面で1回(360°)ひねりを伴うまたは伴わない、前方倒立回転とびから第二空中局面でひねりを伴うまたは伴わない前方または後方宙返り、(3)第一空中局面で90°~180°ひねりを伴う倒立回転とび(ツカハラとび)~第二空中局面でひねりを伴うまたは伴わない後方宙返り、(4)ロンダートから第一空中局面で後ろとび1回(360°)ひねりを伴うまたは伴わない入り(ユルチェンコ)~第二空中局面でひねりを伴うまたは伴わない後方宙返り、(5)ロンダートから第一空中局面で後ろとび1回(180°)ひねりを伴うまたは伴わない入り~第二空中局面でひねりを伴うまたは伴わない前方または後方宙返りである。女子採点規則では男子の「跳越技」と異なり、「跳躍技」と表記されている。[三輪康廣]
段違い平行棒
演技は車輪・ひねり・空中局面を伴う技・支持回転などで構成され、高棒・低棒で移動技が組み合され、停止することなく演技されなければならない。演技の採点は跳躍板もしくはマットを踏み切ったときから始まる。開始技のための助走は、1回目の助走で選手が跳躍板や器械に触れたり、器械の下をくぐり抜けたりしなかった場合に2回目の助走が許される。器械から落下した場合は、演技再開のためにふたたび器械(平行棒)に上がるまでに30秒の中断が許される。制限時間(30秒)内に上がらなかった場合は演技の終了とみなされる。
 演技は、多様性に富んだ運動の分類、(1)回転系と振動系の技:後方車輪、前方車輪、棒下振り出しと浮支持回転、前方/後方開脚浮腰回転、前方/後方足裏支持回転、(2)空中局面を伴う技:高棒からとんで低棒を握る(またはその逆)、切り返しを伴うとび(棒を超える)、とび越し、ヘヒト(伸身とび)、から構成されなければならない。
 技のグループは、(1)高棒から低棒へ移動する空中局面を伴う技、(2)低棒から高棒へ移動する空中局面を伴う技、(3)同一棒を再び握る空中局面を伴う技、(4)棒に近い位置での技、(5)終末技である。[三輪康廣]
平均台
演技は、跳躍板またはマットを踏み切ったときから始まる。床面から高さ125センチメートル(マットの厚さが20センチメートルの場合。マットの厚さが12センチメートルの場合は120センチメートル)、長さ500センチメートル、幅10センチメートルの台の上で、90秒以内にダンス系の技(リープ、ジャンプ、ホップ、ターン、波動(波のような動き)、バランスなど)やアクロバット系の技(宙返りなど)で演技を構成しなければならない。時間の超過は減点される。落下による演技の中断は10秒まで許される。制限時間を過ぎても器械(平均台)に上がらなかった場合は演技を終了したものとみなされる。採点では、終末技を含む最大八つの技を対象に難度の高い順から難度点を数える。アクロバット系の技は最大五つ、ダンス系の技は少なくとも三つが必要である。
 技のグループは、(1)前後開脚(180°)の跳躍技(リープ、ジャンプ、ホップ)を含む、少なくとも二つの異なる技からなるダンス系要素の組み合せ、(2)片足上のターン、(3)一つの宙返りを含む、少なくとも二つの技からなるアクロバット系シリーズ、(4)方向の異なる(前方/側方と後方)アクロバット系要素、(5)終末技である。[三輪康廣]
ゆか
12メートル四方(12メートル×12メートル)の演技面(ゆか)の上で、90秒以内に、アクロバット系の技(宙返りなど)、ジャンプの組み合せやターンなどを、音楽伴奏に合せて演技しなければならない。時間の超過は減点される。演技の採点は、選手の最初の動きから始まる。演技時間は1分30秒(90秒)を超えてはならない。音楽伴奏はオーケストラ、ピアノまたはその他の楽器(歌唱のないもの)によって録音されたもので行う。規定された演技面を踏み越えた場合は、そのつど減点される。
 終末技を含む最大八つの難度の高い技の順から難度点を数える。アクロバット系の技は最大五つ、ダンス系の技は少なくとも三つ必要である。また、宙返りを含んだアクロライン(アクロバット系要素)は最大4本まで認められ、それ以後のアクロラインの難度は難度点として数えられない。演技は、多様性に富んだ運動の分類、(1)アクロバット系要素:接転系、倒立系、空中局面を伴うまたは伴わない支持系、宙返り、(2)ダンス系の技:リープ、ジャンプ、ホップ、ターン、などから構成されなければならない。
 技のグループは、(1)前後開脚(180°)の跳躍技を含む、少なくとも二つの異なる技からなるダンス系要素での移動、(2)二つの異なる宙返りを含む一つのアクロバット系シリーズ、(3)方向の異なる(前方/側方と後方)二つの宙返り、(4)2回宙返りとひねり(1回ひねり以上)を伴う宙返り、(5)最後の宙返りである。[三輪康廣]

規定演技

国際競技会においては、1996年のオリンピック・アトランタ大会を最後に規定演技が廃止された。国内においても全日本選手権大会をはじめ、主要大会では規定演技は採用されない。したがって、規定演技を採用する競技会は国際ルール上は存在しない。ただし、全国中学生大会など一部の大会では、具体的な練習目標としての役割と将来性を考慮して、重要な基本技を取り入れた規定演技が構成されている。規定演技は、ジュニア層の将来を見据え、選別した技を、この順序で、このように実施せよと、すべての運動および動きの細部にわたり規定したもので、上記大会の規定演技は、日本体操協会および各連盟による共通理解のうえで作成されている。規定演技は、実施する対象の水準を考慮して、比較的容易な内容で構成される。現在ではFIGにおいても、年齢別プログラムのなかで規定演技を位置づけていこうという基本方針を示している。規定演技は、技のさばき方、スケールの大きさ、表現方法などを含め、一つの技を極限まで追求する姿勢(技の理想像の追求)を育成するためにはきわめて有効である。
 規定演技の採点は次の要素に基づいて行われる。(1)解説書による演技の解釈(9.80点まで)、(2)姿勢および技術的観点からの実施、(3)演技実施における熟練性に対する加点(0.20点)である。[三輪康廣]
『佐藤友久・森直幹編『体操辞典』(1978・道和書院) ▽日本オリンピック・アカデミー編『オリンピック事典』(1981・プレスギムナスチカ) ▽遠藤幸雄・小野清子著『体操競技を見るための本』(1982・同文書院) ▽KTS体操研究会編『幻のスポーツ王国 東ドイツ体操の秘密』(1991・自由現代社) ▽財団法人日本体操協会編・刊『日本体操協会60年史』(1995) ▽遠藤幸雄監修『日本男子体操競技 栄光のV10』(1995・日本加除出版) ▽綿井永寿監修『図解スポーツルール大事典』3訂版(1997・東陽出版) ▽財団法人日本体操協会編・刊『1997年版男子採点規則』『1997年版女子採点規則』(1997) ▽財団法人日体スワロー編『体操競技写真大鑑』(2007・アイオーエム) ▽大修館書店編『イラストでみる最新スポーツルール2012(体操競技、三輪康廣)』(2012・大修館書店)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の体操競技の言及

【体操】より

…この時点ではまだ徒手体操も器械体操も考えられておらず,視覚や聴覚などの感覚訓練をも含む広義の身体運動を体操と考えていた。今日の体操競技に発展した器械体操は,F.L.ヤーンによって考案されたものであるが,彼は体操ということばをギムナスティクGymnastikからトゥルネンTurnenに改め,統一ドイツ国家を建設するための青少年教育の意味で用いた。したがって,その内容には運動技術の習熟や意思の鍛錬を目的にした器械体操や行軍ばかりでなく,フォークダンスや政治討論集会なども含まれており,今日の体操の概念とはかなり異質なものを含んでいた。…

※「体操競技」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

体操競技の関連キーワードダイナミックRAMグループダイナミックス美感ダイナミックサイネージ飛込み競技ハイダイナミックレンジジグ ダイナミックダイナミック気流フットバッグフリースタイルスポーツアクロ体操

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

体操競技の関連情報