ロサンゼルス・オリンピック競技大会(読み)ロサンゼルス・オリンピックきょうぎたいかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ロサンゼルス・オリンピック競技大会
ロサンゼルス・オリンピックきょうぎたいかい

アメリカ合衆国ロサンゼルスを開催都市として行なわれた第10回オリンピック競技大会。1932年7月30日から 8月14日まで開催され,37ヵ国から約 1300人の選手が参加した。参加者が減少したのは,1929年に始まった大不況世界恐慌)の影響でロサンゼルスへの遠征難色を示すヨーロッパ諸国が多かったことも一因であった。参加する全男子選手を収容可能なオリンピック村が初めて建設され,女子選手にも市中のホテルが準備された。10万人を収容可能なロサンゼルス・スタジアムにつくられた最新のトラックからは 10個の世界新記録が誕生した。また,タイムの自動計測と写真判定装置の導入もこの大会からだった。競技の結果は 41個の金メダルを獲得したアメリカの圧勝で,12個のイタリア,10個のフランス,9個のスウェーデンがこれに続いた。花形はアメリカの女子陸上競技選手ベーブ・ディドリクソンで,80mハードルとやり投げ,そして走り高跳びに参加し,2個の金メダルと銀メダル 1個を獲得した。日本選手では,特に十代の若い選手で構成した男子水泳チームの活躍が著しく,全 6種目中 5種目で優勝した。1500m自由形で優勝した 14歳北村久寿雄は,オリンピック競泳史上最年少の優勝者となった。100m自由形では宮崎康二,100m背泳では清川正二,200m平泳ぎでは鶴田義行が優勝し,800mリレーも日本チームが制した。女子水泳でも 200m平泳ぎで前畑秀子が銀メダルを獲得した。陸上競技三段跳びの南部忠平,馬術の西竹一も優勝し,棒高跳びの西田修平は銀メダルを獲得した。

ロサンゼルス・オリンピック競技大会
ロサンゼルス・オリンピックきょうぎたいかい

アメリカ合衆国のロサンゼルスを開催都市として行なわれた第23回オリンピック競技大会。1984年7月28日から 8月12日まで開催され,140の国と地域から約 6800人の選手団が参加した。ソビエト連邦ドイツ民主共和国東ドイツ),キューバブルガリアなど社会主義諸国十数ヵ国が大会参加をボイコットした。大会組織委員長に就任したアメリカの実業家ピーター・ユベロスは,既存施設の利用,高額なテレビ放映権料の設定,公式スポンサーの募集など,徹底したオリンピックの民営化,ビジネス化を進めた。聖火リレーへの参加も 1kmあたり 3000ドルで一般に販売し,物議をかもした。結果としてこの大会は 2億1500万ドルの利益を生み出し,以後のオリンピックの商業主義への流れを決定的にした。ソ連や東ドイツの不参加により,金メダル数はアメリカが 83個で 1位,次いでルーマニアが 20個で 2位,ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が 17個で 3位,中国は 15個で 4位となった。最も注目を集めたのは,男子陸上競技の 100m,200m,走り幅跳び,400mリレーで 4個の金メダルを獲得したアメリカのカール・ルイスだった。日本勢は 10個の金メダルを獲得。男子体操は具志堅幸司や森末慎二らの活躍で金メダル 3個。男子レスリングで富山英明と宮原厚次が優勝。柔道男子では,右足を負傷しながら優勝した山下泰裕をはじめ,細川伸二,松岡義之,斉藤仁が金メダル。また,射撃のラピッドファイアピストルで 48歳の蒲池猛夫が優勝した。

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