内海吉堂(読み)ウツミ キチドウ

20世紀日本人名事典 「内海吉堂」の解説

内海 吉堂
ウツミ キチドウ

明治・大正期の日本画家



生年
嘉永2年12月3日(1850年)

没年
大正14(1925)年10月9日

出生地
越前国敦賀(福井県)

本名
内海 復

別名
字=休卿,幼名=鹿六,別号=兼霞楊柳室主人

経歴
初め森寛斎、塩川文麟に円山四条派を学び、明治初年上海に渡り、帰国後四条風を骨子とした南画を描く。明治27年如雲社改革の際委員となり、30年日本南画協会結成参画。28年内国勧業博、29年、30年の絵画共進会でそれぞれ褒状を受賞。また30年、32年の全国絵画共進会でともに3等銅牌となる。この他日本美術協会、新古美術品展などでも受賞を重ねた。また文展では大正元年「船過孟浪梯図」が褒状を受賞、2年「江南春靄」が入選古今中国画名蹟に通じ、京都画壇に中国各時代の画蹟を広く紹介した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内海吉堂」の解説

内海吉堂 うつみ-きちどう

1850*-1925 明治-大正時代の日本画家。
嘉永(かえい)2年12月3日生まれ。内海椿水の子。四条派の塩川文麟にまなぶ。明治10年清(中国)にわたり,各地の名画旧跡をたずねる。帰国後文人画をえがき,30年京都の日本南画協会の結成にくわわる。大正2年の文展で「江南春靄」が入選。大正14年10月9日死去。77歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。名は復。別号に海復。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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