朝日日本歴史人物事典 「塩川文麟」の解説
塩川文麟
生年:享和1(1801)
幕末明治の画家。京都の人。字は士温,号は雲章,別号は可竹斎,竹斎,泉声など。通称は図書。幼くして父母を失い,父が仕えていた安井門跡(蓮華光院)の侍臣となる。門主のすすめで岡本豊彦に入門。山水画を得意とした。豊彦宅を訪れた呉春が文麟の画をみて,激賞したという。天保2(1831)年の『画乗要略』には,豊彦の弟子としてただひとり文麟の名が挙げられている。安政の御所造営(1855)に参加,新内裏に襖絵を制作した。明治1(1868)年画家の親睦団体である如雲社を主宰。京都画壇における絶対的指導者となった。教育者としてもすぐれ,近代京都画壇の育成に貢献した幸野楳嶺以下多くの俊英を門下から輩出させた。77歳で没し,京都の一心院に葬られた。代表作「蛍図屏風」(スペンサー美術館蔵)<参考文献>京都市美術館『京都画壇』
(河野元昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報