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塩川文麟 しおかわ ぶんりん

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美術人名辞典の解説

塩川文麟

幕末・明治の四条派の画家。京都生。字は子温、通称は図書、初号は雲章、別号に可竹斎・泉声・答斎・木仏居士等。岡本豊彦の門下。山水・人物・花鳥とあらゆる画域をこなし、爽やかで明るく知的な作風を築き上げる。京都在住画家を糾合して如雲社を創立し、京都画壇の基礎を築いた。明治10年(1877)歿、70才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

塩川文麟 しおかわ-ぶんりん

1808-1877 江戸後期-明治時代の画家。
文化5年生まれ。岡本豊彦にまなび,維新期の四条派の中心的な存在となる。慶応2年(1866)京都の画家をあつめ如雲社を結成,明治京都画壇の基礎をきずく。門下に幸野楳嶺(こうの-ばいれい),野村文挙(ぶんきょ)ら。明治10年5月11日死去。70歳。京都出身。字(あざな)は子温。通称は図書。号は雲章,泉声,木仏庵など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

塩川文麟

没年:明治10.5.11(1877)
生年:享和1(1801)
幕末明治の画家。京都の人。字は士温,号は雲章,別号は可竹斎,竹斎,泉声など。通称は図書。幼くして父母を失い,父が仕えていた安井門跡(蓮華光院)の侍臣となる。門主のすすめで岡本豊彦に入門。山水画を得意とした。豊彦宅を訪れた呉春が文麟の画をみて,激賞したという。天保2(1831)年の『画乗要略』には,豊彦の弟子としてただひとり文麟の名が挙げられている。安政の御所造営(1855)に参加,新内裏に襖絵を制作した。明治1(1868)年画家の親睦団体である如雲社を主宰。京都画壇における絶対的指導者となった。教育者としてもすぐれ,近代京都画壇の育成に貢献した幸野楳嶺以下多くの俊英を門下から輩出させた。77歳で没し,京都の一心院に葬られた。代表作「蛍図屏風」(スペンサー美術館蔵)<参考文献>京都市美術館『京都画壇』

(河野元昭)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の塩川文麟の言及

【円山四条派】より

… 円山四条派は以後も命脈を保ち,近代日本画の確立に大きな役割を果たした。幕末期活躍した画家に円山派の中島来章(1796‐1871)と四条派の塩川文麟(1808‐77)があり,前者の門に川端玉章が現れ,両者に学んだ幸野楳嶺(ばいれい)(1844‐95)は創作とともに教育に力を尽くし,その門から菊池芳文(1862‐1918),三宅呉嶠(ごきよう)(1864‐1919),竹内栖鳳,谷口香嶠(こうきよう)(1864‐1915)ら逸材が輩出した。円山派の森寛斎(1814‐94)や鈴木百年(1825‐91)・松年(1849‐1918)父子も幕末明治期京都画壇の大家として活躍した。…

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