内海城跡(読み)うちのみじようあと

日本歴史地名大系 「内海城跡」の解説

内海城跡
うちのみじようあと

[現在地名]波佐見町湯無田郷

じよう(一五〇メートル)に築かれた中世の山城跡。内海修理亮泰平の築城と伝える。尾張野間のま(現愛知県南知多町)内海うつみ祖先の地とする内海氏はモンゴル襲来後に波佐見に来住したという。同氏が大村純忠の支配下に入るに伴い肥前武雄の後藤貴明の侵攻に対する防衛の城となり、永禄九年(一五六六)萱地かやちヶ原とも称される内海で後藤貴明の軍勢と合戦に及んだと伝える(大村郷村記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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