日本歴史地名大系 「内真辺村」の解説 内真辺村うちまんぺむら 青森県:青森市内真辺村[現在地名]青森市内真部(うちまんぺ)内真部川流域一帯を占め、集落は河口に位置し、東は陸奥湾に面し、南は清水(しみず)村、西は中山(なかやま)山脈で喜良市(きらいち)村(現北津軽郡金木町)、北は左堰(ひだりぜき)村に接する。鎌倉時代末期の元亨二年(一三二二)から嘉暦三年(一三二八)にかけての、安東氏一族の内乱である「津軽大乱」を記した「諏訪大明神絵詞」に「五郎三郎季久、又太郎季長」の従兄弟同士が「外ノ浜内末部西浜折曾関ノ城ヲ構テ相争フ」とある。この内末部が内真辺村をさすといわれる。建武二年(一三三五)三月一〇日の北畠顕家国宣(遠野南部文書)に次のようにある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by