内藤ジュリア(読み)ないとう ジュリア

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤ジュリア」の解説

内藤ジュリア ないとう-ジュリア

1566?-1627 織豊-江戸時代前期のキリシタン
永禄(えいろく)9年?生まれ。22歳で夫と死別し仏門にはいり,慶長元年ごろ洗礼をうけジュリアと名のる。京都で布教し,11年日本最初の女子修道会ベアタス会をつくる。19年幕府の禁教令により兄の如安(じょあん)や高山右近らとともに呂宋(ルソン)(フィリピン)に流され,寛永4年2月11日同地で死去。62歳?

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の内藤ジュリアの言及

【内藤如安】より

…近世初期のキリシタン武士。飛驒守,徳安とも称する。如安は洗礼名ジョアンJoãoに由来する。丹波国八木の城主であったが,1587年(天正15)伴天連追放令のさい信仰を守って所領を捨て,キリシタン大名小西行長に仕えた。文禄・慶長の役では行長とともに渡鮮し,明との講和交渉にあたった。関ヶ原の戦後,一時,加藤清正の下にあったが,高山右近の斡旋で前田利長に仕えた。1614年(慶長19)キリシタン禁教令によって,右近らとともにマニラに追放され同地で没した。…

※「内藤ジュリア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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