朝日日本歴史人物事典 「内藤ジュリア」の解説
内藤ジュリア
生年:永禄9頃(1566)
キリシタン時代の修道女。内藤如安の妹。丹波の身分ある人に嫁いだが,22歳のころ死別。熱心な阿弥陀信仰の比丘尼となったが,イエズス会修道士からキリスト教の教えを聞いて慶長1(1596)年ごろ洗礼を受け,ジュリアと名乗った。その後間もなく,京都に日本最初の女子修道会「ベアタス会」を創立し,宣教師に代わって公家,領主の婦人たちなど高貴な女性たちに熱心に布教した。同19年のキリシタン追放令によって他の会員と共にマニラに流されたが,同地でも修道会を続け,最後まで会長の任にあり,寛永4(1627)年没した。<参考文献>片岡瑠美子『キリシタン時代の女子修道会―みやこの比丘尼たち』
(片岡瑠美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報