日本大百科全書(ニッポニカ) 「禁教令」の意味・わかりやすい解説
禁教令
きんきょうれい
江戸幕府によるキリスト教信仰禁止令。1612年(慶長17)春、本多正純(ほんだまさずみ)の与力(よりき)岡本大八と肥前(長崎県)の大名有馬晴信(ありまはるのぶ)の贈収賄事件が発覚し、両者がキリシタンであり、また徳川家康の旗本などにも信者がいることが判明した。この岡本大八事件を契機にして、幕府は同年8月6日(陽暦9月1日)、「伴天連(バテレン)門徒御制禁也。若有違背之族者忽不可遁其罪科事」と全国的にキリスト教信仰禁止を布告。続いて13年(慶長18)12月23日(陽暦翌年2月1日)、僧崇伝(すうでん)によって伴天連追放文が起草され、神道、仏教、儒教の三教一致思想を基礎とする「神国思想」によるキリスト教排撃が宣言された。これと前後して宣教師や有力信徒高山右近(うこん)らの追放が準備され、14年9月右近ら148名は長崎からマカオ、さらにマニラへ追放され、また各地でキリシタン弾圧が開始された。以後この両法令は、禁教政策の祖法とされ、キリシタン禁制政策が推進された。
[村井早苗]