内藤儀十郎(読み)ナイトウ ギジュウロウ

20世紀日本人名事典 「内藤儀十郎」の解説

内藤 儀十郎
ナイトウ ギジュウロウ

江戸時代末期〜大正期の教育家



生年
弘化4年5月20日(1847年)

没年
大正8(1919)年8月13日

出生地
肥後国熊本(熊本県)

旧姓(旧名)
赤尾

経歴
熊本藩士・赤尾嘉平の子として生まれ、内藤仲辰の養嗣子となる。藩校・時習館で学び、明治2年藩兵指南役、5年温故中学教師、9年熊本師範学校舎監となる。10年西南戦争で西郷軍に加わり4年間入獄する。16年佐々友房の済々黌幹事・教師となり、21年付属女学校(のちの尚絅高)を創設、初代校長に就任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤儀十郎」の解説

内藤儀十郎 ないとう-ぎじゅうろう

1847-1919 明治-大正時代教育者
弘化(こうか)4年5月20日生まれ。肥後熊本藩校時習館でまなぶ。西南戦争で西郷軍にくわわり投獄される。のち佐々(さっさ)友房の済々黌(せいせいこう)の教師となり,明治21年済々黌付属女学校(現尚絅(しょうけい)高)を創設,初代校長。大正8年8月13日死去。73歳。肥後出身。本姓は赤尾。
格言など】貞操節義ある女性を育成し以て国家に資する(済々黌付属女学校の建学精神)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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