デジタル大辞泉 「精神」の意味・読み・例文・類語
せい‐しん【精神】
2 物質に対し、人間を含む生命一般の原理とみなされた霊魂。たましい。
3 物事をなしとげようとする心の働き。気力。「
4 物事の基本的な意義・理念。「憲法の
5 ある歴史的過程や共同体などを特徴づける意識形態。「時代
[類語](1)
〈心〉と同じ意味にも用いられるが,心が主観的・情緒的で個人の内面にとどまるのに対し,〈精神〉は知性や理念に支えられる高次の心の働きで,個人を超える意味をはらみ,〈民族精神〉〈時代精神〉などと普遍化される。この点は語義の成立の過程からも明らかで,洋の東西を問わず心は心臓の動きと関連してできあがり,それゆえ身体内部に座をもつ概念である。一方精神は,それにあたる英語のスピリットspirit,フランス語のエスプリesprit,ドイツ語のガイストGeistが〈風〉〈空気〉〈息〉などを意味するラテン語のスピリトゥスspiritus,ギリシア語のプネウマpneumaに由来するように,個人の身体をつらぬき個人の身体を超えて遍在する広がりをもつ。こうした性格から精神は,一方で,人間の心や身体を支配する〈霊〉のイメージを帯び,他方では神や超越者の観念と結びついて倫理的・形而上学的な性格をつよめる。現に,西欧語のスピリット,エスプリ,ガイストなどは一方で高度の精神性をそなえながら,その背後に〈死霊〉や〈悪霊〉といった無気味な暗部を今なお引きずっている。
これに比べると,日本語の〈精神〉は中国伝来のもので,たとえば《荘子》が〈精神は道より生じ,形は本より精に生ず。しかして万物は形をもって相生ず〉(〈知北遊篇〉)と説くように,人間と自然をふくむ万物の生命的根源に触れており,そこには東洋的知の限りない広さと深さが込められている。ただし〈精神は病まない〉という点では東西の見方が一致する。病むのはつねに身体であり,精神は身体の上部構造としてその影響をこうむるにすぎない。日本でも,狂気は長い間〈自分の気が他の気と入れちがった状態〉と信じられ,医学の領域に属する病態とは見られなかった。こういう点にも人間の聖域としての精神の特質がよく現れている。
→精神病
執筆者:宮本 忠雄
西洋哲学だけをとってみても,〈精神〉について実に多様な考え方がある。精神を究極の実在と見るいわゆる唯心論spiritualismにも,精神(ヌースnous)を世界原質である種子(スペルマタspermata)の混合原理と考える古代のアナクサゴラスや,聖霊Holy Spirit,Holy Ghostを遍在する神の息吹き(プネウマpneuma)と見る新約聖書,叡智(ヌース)を一者(ト・ヘン)に次ぐ実在と見るプロティノスなどのように精神を宇宙に遍在する霊的存在と考え,人間の精神や魂,霊をその一部と見る立場もあれば,近代の観念論哲学のように,認識する個体的意識を究極の原理と見る立場もある。しかし,いずれにせよ,精神は超自然的秩序に属するか,あるいはそれにつながるものと考えられている。プラトンにあって超自然的イデアを直観する力をもつと見られる人間の精神(ヌース)や,アウグスティヌスにあって神の光によって照明されるとされる人間の精神(アニマ)も,元来超自然的秩序(イデア界や〈神の国〉)に属するものなのである。したがって,ここでは人間における身体と精神はまったく異なった秩序に属するものであって,精神は身体から分離可能であるばかりでなく,むしろ身体の穢れから浄化されるべきものと考えられる。近代になっても,たとえばデカルトは,身体は空間的広がりを本性とする物体の秩序に属するのに対し,精神ないし理性は思惟を本性とするそれとは別の秩序に属すると見る物心(身心)二元論を説くが,その場合も人間理性は大いなる理性である神につながるものと考えられている。そのため,デカルト以後の近代初期の哲学においては,これら異なる秩序に属する心身がどのような関係にあるのかという問題をめぐって,相互作用説,平行論,機会原因論,予定調和説など多様な仮説が提出されることになる。
一方,アリストテレスやその流れをくむ中世スコラ哲学,そして近代においてもライプニッツらは,精神を超自然的秩序に属する実体としてではなく,できるかぎり自然の内部でとらえようとし,したがって心身の関係も連続的ないし階層的に考えようとする。アリストテレスは身体を質料(ヒュレ),精神をそこに宿る形相(エイドス)と見るが,これは現代風に言いかえれば,精神を身体に宿る高次の機能と見るということになろう。一般に近代後期の哲学においては,しだいに精神は〈実体〉としてではなく〈機能〉として,自発的・能動的な活動としてとらえられるようになる。これはやはり超自然的秩序の想定が困難になったからであろう。実体としての精神の解体は,ロックやヒュームらイギリス経験論の哲学者によって果たされたが,それに次いで今度は能動的活動の主体としての精神の概念が確立される。カントにおける実践の主体としての理性の概念,フィヒテにおける根源的活動性としての自我の概念,ヘーゲルにおけるおのれを外化し客観化しつつ生成してゆく精神の概念などにそれが見られよう。フランスにおいても,意識を努力と見るメーヌ・ド・ビラン,精神を目的志向的な欲求や働きと見るラベソン・モリアン,意識を純粋持続として,純粋記憶として,さらには〈生の躍動(エラン・ビタール)〉の展開のなかでとらえようとするベルグソンらの唯心論の伝統があるが,ここにも同じような傾向が認められる。当然のことながら,こうした展開のなかで精神は単なる知的な能力としてではなく,むしろ意欲・意志としてとらえられるようになる。
現代哲学においては,メルロー・ポンティのように,意識を行動の非連続な発達のある段階で成立する高次の〈構造〉と見る見方が有力である。ここでは精神は,身体という低次の構造をより大きな全体のうちに統合する統合形式としてとらえられるのである。なお,唯物論の立場では,むろん精神は身体の活動,特に神経活動にともなう副次的現象と見られる(随伴現象説)が,弁証法的唯物論は精神を物質の発展形式と見ながらも,それに相対的自立性を認め,一種の階層理論を説く。
→体 →心 →理性
執筆者:木田 元
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(1)広い意味では心や魂と同義で、非物質的な活動的なものをさす。人間の精神は感覚、理解、想像、意欲、価値評価などの能力の担い手としてか、それともこうした心的機能そのものとして解される。通例、空間的広がりや位置をもたない、単純で不可分である、時間的に変化しながらも自己同一性を保つ、物理法則には従わない、などの性質が帰せられ、ときには実体性や不滅性が主張される。(2)哲学では多くの場合、真理認識・道徳・芸術にかかわる高次の心的能力、理性をさす。(3)さらに時代精神、民族精神などのような超個人的な世界的原理にまで高められることもある。
[藤澤賢一郎]
精神の概念は時代や民族、思想的立場の違いに応じて著しく変わる。(1)古代では精神は身体に宿る空気や火のようなものであり、死によって身体から離れるとされた。またすべてのものが心的性質を備えるとするアニミズム的世界観が広くみられるとともに、物質的なものから離れた精神(霊)が存在して自然の運行をつかさどると考えられ、神話や宗教の神概念へと発展した。(2)ギリシア哲学では世界を秩序づける存在論的原理に高められたり(アナクサゴラスのヌース)、イデアと合一しうる永遠不滅の存在者と考えられたり(プラトン)したが、おおむね精神は世界内のものの一つとされる。(3)近世以降では、精神は自己意識を備え、自由に自己自身を規定する創造的な主体とみなされ、思想的に重要な役割を果たしてきた。近代的な精神の概念を初めて確立したのはデカルトである。彼によれば精神は思考を、物体は延長を主要属性とする実体である。両者は実在的に区別され、互いに他方に依存しない。この二元論は、自然全体を対象とし、認識主観を対象の連関の外に据える近代自然科学の態度によく合致する。以後の哲学はデカルト的二元論を基盤にしながら精神の概念を洗練・発展させて二元論自身を克服しようとしたが、この方向でいちおうの完成をみるのはヘーゲルにおいてである。彼は、存在し運動するものすべてが精神であるとする観念論の立場から、精神が、〔1〕世界の構造的枠組みを示す理念、〔2〕理念の外在態としての自然、〔3〕歴史において世界精神・民族精神という形態をとって自己自身へと還(かえ)る過程、という三段階を通じて発展する、と説いて壮大な体系を築いた。
[藤澤賢一郎]
(1)イデオロギー論や精神分析では、精神の自立性・純粋性が否定される。(2)サイバネティックスなどの新しい人間機械論や、心的現象を行動もしくはその潜在的能力としてとらえる行動主義では、独立した精神を消去しようとする傾向が強い。――これらの動きは近代的な考え方に対する反省から生まれたものであるが、精神の新しい概念を確立することは現代の思想界の課題である。
[藤澤賢一郎]
『村治能就訳『デ・アニマ(霊魂論)』(『世界の大思想 アリストテレス』所収・1966・河出書房新社)』▽『山本光雄訳『デ・アニマ(霊魂論)』(『アリストテレス全集 第6巻』所収・1968・岩波書店)』▽『デカルト著、三木清訳『省察』(岩波文庫)』▽『所雄章他訳『デカルト著作集 第2巻』(1973・白水社)』▽『樫山欽四郎訳『精神現象学』(『世界の大思想 ヘーゲル』所収・1973・河出書房新社)』▽『デカルト著、金子武蔵訳『精神の現象学』全2冊(1971、79・岩波書店)』▽『シャッファー著、清水義夫訳『こころの哲学』(1971・培風館)』▽『大森荘蔵他著『心―身の問題』(1980・産業図書)』
字通「精」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…知,情,意によって代表される人間の精神作用の総体,もしくはその中心にあるもの。〈精神〉と同義とされることもあるが,精神がロゴス(理性)を体現する高次の心的能力で,個人を超える意味をになうとすれば,〈心〉はパトス(情念)を体現し,より多く個人的・主観的な意味合いをもつ。…
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[心理学の歴史]
まず,ギリシアの昔から説き起こせば,すでに,肉体から独立してイデアの世界に存在する霊魂を考えたプラトン,肉体を素材(ヒュレ)とする形相(エイドス)としての霊魂,肉体を肉体たらしめ,活動させる原理としての霊魂を考えたアリストテレス,霊魂をも含めて万物は原子の運動に由来すると考えたデモクリトスやエピクロスらの説があった。プラトンの霊肉二元論は,中世のキリスト教思想を支配し,近世においては,物質の本質を延長とし,精神の本質を思惟としたデカルトの物心二元論に引き継がれた。さらに19世紀にはじまった近代および現代の心理学においては,精神を肉体から独立に存在するとは考えないけれども,精神をそれ自体として独自に研究しようとする人たちの理論に影を落としている。…
…現在では,一般に,空間のなかにある広がりを占め,人間の感覚によってその存在を確認することができるような何ものかは,すべて物質として理解される。この一応の定義は,デカルトによるところが大きいが,これに従えば,物質は第1に精神と対立する。なぜなら,精神は空間のなかに広がりをもたず,したがってまた,人間の感覚によってその存在を確認されることはなく,しかもデカルト的なコギト(われ思う)によって,その存在が明証的となるからである。…
※「精神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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