20世紀日本人名事典 「内藤四郎」の解説 内藤 四郎ナイトウ シロウ 昭和期の彫金家 東京芸術大学名誉教授。 生年明治40(1907)年3月14日 没年昭和63(1988)年1月12日 出生地東京 学歴〔年〕東京美術学校金工科〔昭和6年〕卒,東京美術学校研究科〔昭和9年〕修了 主な受賞名〔年〕勲三等旭日中綬章〔昭和53年〕 経歴清水亀蔵、海野清、深瀬嘉臣らに師事。昭和4年帝展入選。16年国画会工芸部会員となり、18年国立工芸技術講習所助教授に就任。35年東京芸術大学教授となり、49年まで務めた。この間41年日本工芸会副理事長。また38年、45年と正倉院宝物金工品等の調査を行い、51年「正倉院の金工」を執筆。43年皇居新宮殿建築金具を制作した。53年人間国宝認定。代表作に「柳文銀壺」(39年)など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤四郎」の解説 内藤四郎 ないとう-しろう 1907-1988 昭和時代の彫金家。明治40年3月14日生まれ。清水南山,海野清らにまなぶ。国画会工芸部の会員,国立工芸技術講習所の助教授となる。昭和35年東京芸大教授。38年,45年正倉院蔵の金工品の調査にくわわる。53年人間国宝。昭和63年1月12日死去。80歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by