内藤忠重(読み)ないとう ただしげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤忠重」の解説

内藤忠重 ないとう-ただしげ

1586-1653 江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)14年生まれ。内藤忠政(ただまさ)の子。2代将軍徳川秀忠(ひでただ)につかえ,関ケ原の戦い大坂の陣にしたがう。のち3代将軍徳川家光(いえみつ)の養育係。寛永10年志摩(三重県)鳥羽藩主内藤家初代となる。3万5000石。築城のため八公二民の苛政(かせい)をおこなった。承応(じょうおう)2年4月23日死去。68歳。通称は甚十郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android