20世紀日本人名事典 「内藤知周」の解説
内藤 知周
ナイトウ トモチカ
昭和期の社会運動家
- 生年
- 大正3(1914)年11月20日
- 没年
- 昭和49(1974)年5月16日
- 出生地
- 神奈川県横須賀市
- 学歴〔年〕
- 東北帝国大学法文学部経済学科〔昭和16年〕卒
- 経歴
- 在学中学生運動に関わり、昭和13年検挙に遇い無期停学。卒業後繊維需給調整協議会調査課に就職、召集を受け中国河北へ。21年復員し共産党に入り、山口県委員として徳山で活動、33年中央委員。36年党章論争の際、構造改革派の春日庄次郎と共に一段階革命を主張して脱党・除名、10月社会主義革新運動準備会結成、全国委員・事務局長。のち、統一社会主義同盟結成。42年「前衛党」建設問題で分裂、いいだもも等と共産主義労働者党結党、議長。ベトナム反戦闘争・学園闘争を通じて構革路線が放棄されるのに伴い組織を離れ、労働運動研究所を創立し理事。「内藤知周著作集」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報