内藤耻叟(読み)ないとう・ちそう

朝日日本歴史人物事典 「内藤耻叟」の解説

内藤耻叟

没年:明治36.6.7(1903)
生年:文政10.11.5(1827.12.22)
水戸藩士。明治時代漢学者,歴史家。幕末水戸藩の抗争に巻き込まれ,明治初年には,東北各地を逃避した。明治19(1886)年帝国大学文科大学教授となり,漢学と史学を講じた。江戸幕府の制度史に精通して,啓蒙に努め,三上参次を育成した。学風洋学を拒絶して,人物批判に富み,尊皇敬幕の気骨を貫徹した。<著作>『開国起原・安政紀事』『徳川15代史』『江戸文学志略』<参考文献>『東京帝国大学学術大観』,『水戸市史』中巻5,三上参次『明治時代の歴史学界』

(秋元信英)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤耻叟」の解説

内藤耻叟 ないとう-ちそう

1827-1903 江戸後期-明治時代の歴史学者,漢学者。
文政10年11月5日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。藩校弘道館で会沢正志斎,藤田東湖にまなび,慶応元年弘道館教授。明治11年東京府小石川区長,19年帝国大学教授。明治36年6月7日死去。77歳。本姓美濃部。名は正直。通称は弥大夫。別号碧海。著作に「安政紀事」「徳川十五代史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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