…その一つが左義長羽子板で,宮中の左義長の行事を描いたものであったが,近代になると絵柄は一定していない。また貞享・元禄時代(1684‐1704)には衣冠の男と垂髪の女を派手に描いた内裏(だいり)羽子板が盛んになった。文化・文政期(1804‐30)には押絵を片面に貼りつけた押絵羽子板が江戸でつくられ,役者の肖像などを描いた豪華なものが人気を呼び,縁起物,飾物として大きなものも市販されるようになった。…
※「内裏羽子板」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」