内野壮児(読み)ウチノ ソウジ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「内野壮児」の解説

内野 壮児
ウチノ ソウジ


肩書
元・日本共産党中央委員,労働運動研究所代表理事

生年月日
明治41年11月22日

出生地
長崎県下県郡鶏知町(現・美津島町)

学歴
東京帝国大学〔昭和3年〕中退

経歴
東大に入学した昭和3年、新人会に属して柳島のセツルメント労働学校を運営したが、検挙されて東大を中退。以後、全協本部常任委員などをしながらオルグ活動を続け、9年検挙されるが執行猶予となる。11年再度検挙され、16年にも検挙されて下獄する。20年釈放され共産党に入党、中央委員などをつとめたが、36年除名される。以後社会主義革新運動を結成し、43年共産主義労働党の結党参加。45年離党して労働者全国協議会を結成。44年労働運動研究所を創立した。

没年月日
昭和55年12月26日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「内野壮児」の解説

内野 壮児
ウチノ ソウジ

昭和期の社会運動家 労働運動研究所代表理事;元・日本共産党中央委員。



生年
明治41(1908)年11月22日

没年
昭和55(1980)年12月26日

出生地
長崎県下県郡鶏知町(現・美津島町)

学歴〔年〕
東京帝国大学〔昭和3年〕中退

経歴
東大に入学した昭和3年、新人会に属して柳島のセツルメント労働学校を運営したが、検挙されて東大を中退。以後、全協本部常任委員などをしながらオルグ活動を続け、9年検挙されるが執行猶予となる。11年再度検挙され、16年にも検挙されて下獄する。20年釈放され共産党に入党、中央委員などを務めたが、36年除名される。以後社会主義革新運動を結成し、43年共産主義労働党の結党に参加。45年離党して労働者全国協議会を結成。44年労働運動研究所を創立した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内野壮児」の解説

内野壮児 うちの-そうじ

1908-1980 昭和時代の労働運動家。
明治41年11月22日生まれ。昭和4年日本労働組合全国協議会本部常任委員となり,翌年本部を批判して刷新同盟の結成にくわわる。10年「労働雑誌」の創刊に参加。戦後,共産党に入党,「アカハタ」の編集従事。36年共産党を除名され,44年労働運動研究所を設立した。昭和55年12月26日死去。72歳。長崎県出身。東京帝大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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