内野本郷村(読み)うちのほんごうむら

日本歴史地名大系 「内野本郷村」の解説

内野本郷村
うちのほんごうむら

[現在地名]大宮市内野本郷

新井あらい村の南に位置する。村の西部は大宮台地指扇さしおうぎ支台上にあり、東はかも川に臨む沖積低地。村の北端川越城下への道が通り、中央を南下する与野町へ通ずる道と交差している。中世には上内野郷に含まれた。天正一八年(一五九〇)の三千石以上分限帳(「天正慶長諸大名御旗本分限帳」内閣文庫蔵)によると、三宅弥次兵衛正次は徳川氏から「武州内野」で五千石を与えられたが、慶長元年(一五九六)京都で討死し断絶、上知された。内野は差扇さしおうぎ領に属した(寛政重修諸家譜)。元和九年(一六二三)旗本山内領となり、以後の変遷清河寺せいがんじ村に同じ。田園簿では田八二石余・畑五二石余、ほかに野銭永一五三文がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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