内野郷(読み)うちのごう

日本歴史地名大系 「内野郷」の解説

内野郷
うちのごう

中世の伊南いなん庄の一郷で、現大原町若山わかやま新田につた深堀ふかほり一帯に比定される。建長元年(一二四九)一二月二日の尼めうち譲状写(相州文書)に「いなんのしやううつのゝかう」とみえ、郷内「よこすかのした」「よこまくら」の田五反と乙部の屋敷が息女さいわう(佐伊王)御前に譲られており、翌年鎌倉将軍に安堵された(建長二年三月二八日「将軍家藤原頼嗣下文」覚園寺文書)。この譲渡分は当郷地頭分内の「おとへの女子」分で、「伊北八郎つねなか」から相伝された田畠であり、また佐伊王は平氏女ともみえ、上総氏の一門伊北氏の出身であることなどから(元徳二年三月六日「伊北一如房田畠売券」同文書など)、当郷の地頭職は伊北氏がもっていたのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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