内間御殿跡(読み)うちまうどうんあと

日本歴史地名大系 「内間御殿跡」の解説

内間御殿跡
うちまうどうんあと

[現在地名]西原町嘉手苅

嘉手苅かでかる地区の中央部にある。第二尚氏初代国王尚円(金丸)の即位以前の旧宅で、国家的聖地。ウチマウドゥンとよぶ。伊是名いぜな島出身の金丸は景泰五年(一四五四)内間領主に任じられ、天順三年(一四五九)には御物城御鎖側官に昇進するが、第一尚氏第七代国王尚徳と意見が対立し、成化四年(一四六八)に内間に隠遁した。同六年クーデタが起こり、金丸は王位に就き尚円を称した(「球陽」尚円王附紀条)。一六六〇年代尚円の旧宅跡に大殿内という家があり、尚円の遺品とする青磁の枕を保管し祀っていた。そこで大殿内を別の屋敷に移すとともに新たに切妻造の御殿を建造し、尚円の枕を安置した。これが内間御殿である(内間之御殿由来記)。康熙二八年(一六八九)大美うふんみ御殿(現那覇市)により二間×三間の御殿は瓦葺に改修された(「球陽」尚貞王二一年条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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