円中文助(読み)マルナカ ブンスケ

20世紀日本人名事典 「円中文助」の解説

円中 文助
マルナカ ブンスケ

明治・大正期の製糸技術者 東京高等蚕糸学校講師。



生年
嘉永6年(1853年)

没年
大正12(1923)年9月1日

出生地
加賀国(石川県)

経歴
金沢で貿易商を営む円中孫平の婿養子となる。明治6年製糸技術伝習生として渡欧し、ウィーン博覧会を視察するとともに養父の命によって九谷焼の販売を試みる。次いでイタリアに立ち寄り、製糸・養蚕技術と機械学を修めた。帰国後、内務省勧業寮御雇となって製糸試験場での技術指導に従事。19年には円中組のパリ支店を任されるが失敗に終わった。28年生糸検査所技師に就任、ついで36年には東京高等蚕糸学校講師となり、大正2年官職を辞す。また製糸機械の開発にも力を注ぎ、明治35年自動回転式製糸器械を発明した。大正12年9月1日の関東大震災で死去

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「円中文助」の解説

円中文助

没年:大正12.9.1(1923)
生年:嘉永6(1853)
明治期の製糸技術者。加賀国(石川県)生まれ。陶器,生糸などの直輸出商円中孫平の婿養子となる。明治6(1873)年,製糸技術伝習生としてウィーン博に行き,また孫平の命でヨーロッパへの九谷焼の販売を試みるとともに,翌年までイタリアで製糸技術,機械学を学ぶ。帰国後,内務省勧業寮御雇などとして製糸技術の教授を行った。次いで,19年まで円中組パリ支店を担当したが,失敗。その後生糸検査所技師,東京高等蚕糸学校講師を勤め,さらに製糸機械の発明に従事した。関東大震災により東京神田の自宅で亡くなる。洋式製糸技術の摂取,改良と直輸出へかけた人生だった。<参考文献>藤本実也『開港と生糸貿易』下,本康宏史「『美術工業』と輸出商」(『石川県立歴史博物館紀要』3号)

(松村敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「円中文助」の解説

円中文助 まるなか-ぶんすけ

1853-1923 明治-大正時代の製糸技術者。
嘉永(かえい)6年生まれ。明治6年ウィーン万国博に出張,帰途イタリアで製糸技術をまなぶ。内務省勧業寮の製糸試験場などで技術指導にあたる。のち生糸検査所技師,東京高等蚕糸学校講師をつとめた。大正12年9月1日死去。71歳。加賀(石川県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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