円座村(読み)えんざむら

日本歴史地名大系 「円座村」の解説

円座村
えんざむら

[現在地名]高松市円座町

中間なかつま村の東、香東こうとう川の左岸に位置。北部を高松・金毘羅街道が通り、一里塚が築かれていた。中世には円座保が成立しており、讃岐の特産円座(菅や藁などで編んだ円形の敷物)を貢納していた。江戸時代にも高松藩から将軍家への献上品に菅円座があった(武鑑)。「全讃史」によると戦国時代、渡辺氏が当地渡辺わたなべ城に拠った。渡辺氏は香西氏の海賊奉行という。寛永国絵図には円座郷とあり、高一千一四〇石余。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳には円座村とみえ、高一千一五二石余。池泉合符録によると水掛高一八二石余の萩池、同高四五五石余の皿井、同高一六二石余の宮下井、同高六四一石余の添井(当村高六一石余)などがある。


円座村
えんざむら

[現在地名]伊勢市円座町

宮川中流右岸にあり、当村の北で横輪よこわ川が合流する。「五鈴遺響」は属邑として岡出おかで(現度会郡玉城町)をあげる。近世は和歌山藩田丸領。慶安郷帳(明大刑博蔵)によれば村高一八〇石余のうち畑方が一三二石余。円座組大庄屋米山多右衛門(宗隆)は大熊山からの灌漑用水路を元禄二年(一六八九)起工し同九年竣工した。延長約五・五キロ、良田約七ヘクタールを得た。のち荒廃し文政一二年(一八二九)孫の多右衛門(宗持)が横輪川からの分水を図り、延長約七・六キロの水路を開いたが、水害により決壊した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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