大和行幸(読み)やまとぎょうこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大和行幸」の意味・わかりやすい解説

大和行幸
やまとぎょうこう

尊攘(そんじょう)派による討幕計画の一つ。孝明(こうめい)天皇による攘夷(じょうい)祈願のための神武(じんむ)陵参拝などを企図したもので、行幸の詔も発せられたが、公武合体派はこれを阻止しようとして、文久(ぶんきゅう)3年(1863)八月十八日の政変を起こした。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大和行幸」の解説

大和行幸
やまとぎょうこう

幕末期,尊攘派が政権奪取を企図した攘夷親征の行幸計画。具体的には天皇が大和の神武陵・春日社に行幸し,親征の軍議を行い,伊勢神宮に参宮するというもの。1863年(文久3)真木和泉(まきいずみ)らは萩藩を動かして天皇の攘夷親征・王政維新を企て,討幕の機運をつくろうとした。その結果,8月13日大和行幸の詔が出され,同時に萩藩主らに上京が命じられた。諸藩へも行幸供奉(ぐぶ),軍用金献納が命じられたが,8月18日の政変により中止。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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