日本歴史地名大系 「冬木村」の解説
冬木村
ふゆきむら
江戸時代は下総関宿藩領で、寛文三年(一六六三)の冬木村免相定事(松本好司文書)によると、本高一二八・九二二石。田が三町六反九歩で一四・四一二石。畑・屋敷が二八町七反四畝一一歩で一一四・五一石。ほかに新田畑高九三・七九八石があり、この反別二一町八反七歩のうち田が一町五反九畝九歩。村高合計二二二・七二〇石。同一一年の関宿領茂右衛門御代官場石高覚帳(同文書)には本高二九・三二五石のほかに三九七・九八四石があり、村高合計四二七・三〇九石。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報