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日光街道 にっこうかいどう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日光街道
にっこうかいどう

江戸時代の五街道の一つ。江戸日本橋から千住幸手 (さって) ,栗橋小金井宇都宮,徳次郎を経て日光にいたる約 150kmをいう。日本橋-宇都宮間は奥州街道と重複し,狭義には宇都宮-日光間の約 35km。幸手で日光御成街道今市日光例幣使街道日光西街道日光北街道会津西街道が合流する。今市付近には現在も杉並木が残り,天然記念物に指定されている。

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大辞林 第三版の解説

にっこうかいどう【日光街道】

江戸時代の五街道の一。江戸日本橋から千住・宇都宮・今市を経て日光に至る。二一宿あり、千住から宇都宮までは奥州街道を兼ねる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日光街道
にっこうかいどう

日光道中ともいう。江戸時代の五街道の一つ。江戸から千住(せんじゅ)、草加(そうか)、古河(こが)、宇都宮を経て日光坊中まで20宿(栗橋(くりはし)・中田を二宿、徳次郎宿を三宿に数えると23宿)。宇都宮までは奥州道(おうしゅうどう)を兼ねるが、近世初期までは奥州道とよばれ、宇都宮から日光までが日光街道とよばれた。日光東照宮が完成し日光社参が頻繁になると、江戸―宇都宮間も日光街道とよばれるようになった。成立についてはさだかではないが、1602年(慶長7)に粕壁(かすかべ)、宇都宮が、1606年には草加宿が成立したと伝えられ、東照宮完成のころ街道、宿駅ともに整備されたようである。[山本光正]
『本間清利著『日光街道繁昌記』(『しらこばと選書 一』1975・埼玉新聞社) ▽埼玉県立博物館編『日光道中』(『歴史の道調査報告書3』1985・埼玉県教育委員会)』

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世界大百科事典内の日光街道の言及

【日光道中】より

…日光街道ともいう。江戸時代の五街道の一つ。…

※「日光街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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衣笠祥雄

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