出丸下郷(読み)いでまるしもごう

日本歴史地名大系 「出丸下郷」の解説

出丸下郷
いでまるしもごう

[現在地名]川島町出丸下郷でまるしもごう

西谷にしや村の北東荒川右岸にあり、南は出丸本いでまるほん村、東は堤防・荒川を隔てて足立郡の諸村。中世伊豆丸いずまる郷の遺称地の一で、近世には出丸七ヵ村のうち。出丸中郷とともに出丸本村から分れたという(風土記稿)。田園簿では下郷とみえ、田高一一八石余・畑高一〇六石余・野高一三石余、川越藩領。寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳でも下郷とあり、高三九八石余、反別は田二八町九反余・畑二九町九反余。ほかに開発地高六一石余(田四町四反余・畑四町六反余)があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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