赤城(読み)あかぎ

日本大百科全書(ニッポニカ)「赤城」の解説

赤城
あかぎ

群馬県中東部、勢多郡(せたぐん)にあった旧村名(赤城村(むら))。現在は渋川市(しぶかわし)の北東部を占める地域。2006年渋川市に合併。旧村域は赤城山の西斜面を占め、西境利根(とね)川となる。養豚などの畜産、コンニャク栽培を主とする農村で、近年はイチゴ、リンゴなどの観光農園もつくられている。江戸時代、前橋城下と沼田城下を結んだ沼田街道は、JR上越線よりも高位斜面を通り、溝呂木(みぞろぎ)は宿場であった。国道353号が通じ、関越(かんえつ)自動車道赤城インターチェンジがある。上三原田(かみみはらた)の歌舞伎(かぶき)舞台は国の重要有形民俗文化財で、津久田(つくだ)の人形舞台と人形、宮田不動尊の石造不動明王立像(国指定重要文化財)、滝沢石器時代遺跡などの文化財に富む。敷島キンメイチクは国の天然記念物。

[村木定雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「赤城」の解説

赤城
あかぎ

旧日本海軍航空母艦空母)。1941年12月8日の真珠湾攻撃から,1942年6月ミッドウェー海戦で沈没するまで日本主力機動部隊の旗艦であった。1927年3月に海軍の空母の第2艦として呉工廠で完成。もとは巡洋戦艦『赤城』として起工されたが,ワシントン海軍軍備制限条約による戦艦廃棄のため空母に改造された。完成時は 3層の飛行甲板をもっていたが,1933年に 1枚甲板に改装された。基準排水量 3万6500t,速力 31.2kn。飛行機搭載数は常用機 66,補用機 25。ミッドウェー海戦当時の搭載機は零式艦上戦闘機九九式艦上爆撃機急降下爆撃),九七式艦上攻撃機(雷爆撃)各 18,計 54機,ほかに二式艦上偵察機および補用機若干。

赤城
あかぎ

群馬県中部,渋川市北東部の旧村域。赤城山西斜面から利根川中流東岸を占める。 1956年横野村と敷島村が合体して赤城村が発足。 2006年渋川市,伊香保町,小野上村,子持村,北橘村と合体して渋川市となった。養蚕,養豚,養鶏などが行なわれる。上三原田の歌舞伎舞台は国の重要有形民俗文化財。滝沢石器時代遺跡 (国の史跡) をはじめ,先史時代の遺構が多く残る。敷島のキンメイチクは国の天然記念物。東部は赤城県立公園に属する。

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デジタル大辞泉プラス「赤城」の解説

赤城

大日本帝国海軍の航空母艦。天城型巡洋戦艦からの改造空母。1927年3月改造完了。真珠湾攻撃に参加。ミッドウェー海戦にて自沈(1942年)。

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精選版 日本国語大辞典「赤城」の解説

あかぎ【赤城】

東京都新宿区にある地名。江戸時代の岡場所の一つ。

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世界大百科事典内の赤城の言及

【航空母艦】より


[第1次大戦後]
 戦後,ワシントン条約で戦艦,巡洋艦などの主力艦の保有制限が定められ,主力艦のあるものは建造途中で空母に改造された。日本の赤城(約2万7000トン),加賀(約2万7000トン),アメリカのレキシントンLexington(約3万6000トン),サラトガSaratoga(約3万6000トン)などがそれであるが,空母の実用価値についての評価はまだ低く,主力艦隊の補助的役割しか期待されなかった。しかし航空機の急速な発達につれて,主力艦の洋上決戦に先立って,空母搭載機による遠距離先制攻撃で敵艦隊の戦力減殺を図り,艦隊決戦を有利に導こうとする構想が醸成され,これらの空母は,運用実績をもとに幾多の改造を重ねて,しだいに内容の充実した実用空母となっていった。…

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