日本歴史地名大系 「出間村」の解説 出間村いずまむら 高知県:土佐市出間村[現在地名]土佐市出間南の山地から流出して波介(はげ)川に合流する出間川沿いにあり、西は岩戸(いわど)村。村の南、浦(うら)ノ内(うち)湾に面した塩間(しわい)・灰方(はいがた)(現須崎市)へ通ずる道があるが、いずれも険路であった(土佐州郡志)。天正一七年(一五八九)の出間村地検帳によれば岩戸口(いわどぐち)村・畑ヵ谷(はたヵだに)村・フモト村の三小村からなり、地積は四六町一反余、うち田分四〇町二反余、畠分三一代余、屋敷五〇筆で四町余、荒分一町八反余。切畑として別に一反余がみえる。長宗我部氏家臣の給地のほか直分・散田・寺社領からなり、さらに貞光名・国宗名などかつてあった「名」が分解して再編された新しい「い」「ろ」「は」「に」の記号名がみられる。 出間村いずまむら 三重県:松阪市出間村[現在地名]松阪市出間町神守(かんもり)村の北にあり、北は柿木原(かきのきはら)村、東は土古路(ところ)村、西は東黒部(ひがしくろべ)村となる。出間の名義は、当地にあった服部伊刀麻(はとりいとま)神社(旧村社、明治四一年二十五柱神社に合祀)の訛といわれる。「延喜式」神名帳の多気郡五二座のうちに服部伊刀麻神社がある。「はたとのゝ御神事之日記」(神宮文庫蔵)の宝徳三年(一四五一)一月一一日の条に「いつま社」の記載がある。「多気郡出間村地誌」(出間町自治会蔵)によれば、南北朝期に仁木義長に押領され、永享年中(一四二九―四一)以降北畠氏の支配下となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報