出雲国山代郷正倉跡(読み)いずものくにやましろごうしようそうあと

日本歴史地名大系 「出雲国山代郷正倉跡」の解説

出雲国山代郷正倉跡
いずものくにやましろごうしようそうあと

[現在地名]松江市大庭町 内屋敷・植松

茶臼ちやうす山の北西麓、標高二三メートルの台地状地に所在する奈良時代から平安時代の正倉と考えられる遺構南北に走る国道四三二号に県道八重垣神社やえがきじんじや竹矢ちくや線が交差する大庭十字路北東角にあたる。県教育委員会が昭和五三年(一九七八)から同五五年に調査を行い、検出された遺構はA・B・Cの三時期に区分される。A期はおよそ八世紀代で、中央に管理棟と考えられる掘立柱建物跡二棟、東に南北に棟をそろえた東西三間・南北四間の総柱建物跡三棟が並ぶ。後者は炭化米の出土から稲穀を収めた倉の跡と考えられる。西側にも総柱建物跡が認められており、東側と同様に南北方向に何棟かが並ぶ可能性がある。総柱建物の柱跡は、一辺一メートル数十センチの大きな堀形で丁寧な版築をしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報