朝日日本歴史人物事典 「出雲広嶋」の解説
出雲広嶋
8世紀前半の地方官。出雲国造。神亀1(724)年1月,神賀の事(神賀詞)を奏上し,外従七位下から位を進められ,禄を賜った。同3年2月にも同様に奏上し,神社の剣鏡と白馬,鵠を献上,位2階を進められ,祝部(下級の神職)194人と共に賜物にあずかった(『続日本紀』)。天平5(733)年2月30日勘造の『出雲国風土記』の巻末に総括者として出雲国造帯意宇郡大領外正六位上勲12等の肩書で名がみえる。同6年の「出雲国計会帳」にも同様の肩書がみえる(『寧楽遺文』上)。同10年外従五位下。奈良時代の出雲国造は果安―広嶋―弟山―益方と続いた。
(岩本次郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報