朝日日本歴史人物事典 「出雲果安」の解説
出雲果安
8世紀初頭の出雲国造。『延喜式』(927)によると,出雲国造に新任すると1年間の潔斎を経たのち朝廷に出て出雲の神からの祝詞を奏上する規定があるが,霊亀2(716)年2月,国造外正七位上の果安がこの神賀の事(神賀詞)を奏上したのが初見。その功により果安から祝部(下級の神職)に至るまで百十余人が叙位,賜禄にあずかった。
(岩本次郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(岩本次郎)
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…この間に,氏の祖神も天つ神の天穂日命(あめのほひのみこと)とするようになったらしい。そして国造出雲果安が716年(霊亀2),ついで724年(神亀1)の出雲広嶋いらい,国造の代替りごとに祝(はふり)・神部をひきつれて朝廷に参上し,神賀詞を奏する例がひらかれた。なお,広嶋は《出雲国風土記》の編纂者としても有名である。…
※「出雲果安」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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