(西野悠紀子)
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第44代の天皇(在位715~724)。和風諡号(しごう)は日本根子高瑞浄足姫(やまとねこたかみずきよたらしひめ)天皇。諱(いみな)は氷高(ひだか)。父は草壁皇子。母は元明(げんめい)天皇。文武(もんむ)天皇の姉。715年(霊亀1)母元明天皇の後を継いで即位した。当時皇太子として首(おびと)皇子(聖武(しょうむ))があったが、まだ14歳であり、身体も虚弱であったらしく、皇嗣(こうし)候補として有力な他の天武諸皇子を抑えるため、元正天皇が即位したと推定される。在位9年ののち、724年(神亀1)甥聖武に譲位した。その治世の間の重要な事件として、717年(養老1)遣唐使派遣、718年藤原不比等(ふひと)らによる養老律令編纂(りつりょうへんさん)完了。720年『日本書紀』完成。同年藤原不比等没。長屋王政権の成立。大隅隼人(おおすみはやと)の反乱。721年元明上皇没。723年良田100万町歩開墾計画と三世一身法制定などがある。美濃(みの)多度山醴泉(たどさんれいせん)(いわゆる養老の滝)への再度の行幸も有名。聖武天皇に譲位後も、政治に対し隠然たる勢力を及ぼしたと推測される。難波(なにわ)京、和泉監(いずみのげん)離宮へしばしば行幸した。大和(やまと)奈保山西(なほやまのにし)陵に葬られた。
[横田健一]
第44代に数えられる奈良前期の女帝。在位715-724年。父は草壁皇子,母は元明天皇,文武天皇の同母姉。諱(いみな)は氷高(ひたか),または新家(にいのみ)。和風謚号(しごう)を日本根子高瑞浄足姫(やまとねこたかみずきよたらしひめ)天皇という。715年9月に元明天皇は譲位を決意したが,皇太子首皇子がまだ若すぎるため,代わって未婚のまま即位,霊亀と改元された。724年(神亀1)2月に首皇子(聖武天皇)に譲位するまでの治世9年の間に,《養老律令》の編纂,隼人の反乱,《日本書紀》の撰進,右大臣藤原不比等や元明太上天皇の死去,三世一身法の制定などがあった。748年4月に平城宮にて没した。佐保山陵に火葬したが,2年後,奈保山陵(〈諸陵式〉奈保山西陵)に改葬。《万葉集》に歌7首所収。
執筆者:岸 俊男
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680~748.4.21
在位715.9.2~724.2.4
奈良前期の女帝。日本根子高瑞浄足姫(やまとねこたかみずきよたらしひめ)天皇・日高皇女(氷高(ひだか)内親王)・新家(にいのみ)皇女と称する。草壁(くさかべ)皇子の皇女。母は天智天皇の女阿閇(あべ)皇女(元明天皇)。文武天皇の同母姉。715年(霊亀元)母の元明天皇から位を譲られて即位。「日本書紀」の編纂や三世一身の法の施行は,この天皇の時代のことである。724年(神亀元)文武天皇の子の皇太子首(おびと)皇子(聖武天皇)に譲位したが,その後も748年(天平20)に没するまで,上皇として宮廷に重きをなした。
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