コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

元正天皇 げんしょうてんのう

8件 の用語解説(元正天皇の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

元正天皇
げんしょうてんのう

[生]天武9(680).大和,飛鳥
[没]天平20(748).4.21. 奈良
第 44代の天皇 (在位 715~724) 。奈良朝第2代の女帝。名は氷高 (ひだか) ,日本根子高瑞浄足姫尊 (やまとねこたかみずきよたらしひめのみこと) 。父は天武天皇の皇子草壁皇子。母はその妃阿閇 (あべ) 皇女 (→元明天皇 ) 。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

げんしょう‐てんのう〔ゲンシヤウテンワウ〕【元正天皇】

[680~748]第44代天皇。女帝。在位715~724。名は氷高(ひだか)。父は天武天皇の子の草壁皇子、母は元明天皇三世一身の法の発布などの事績がある。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

元正天皇【げんしょうてんのう】

奈良時代の女帝。在位715年−724年。父は草壁(くさかべ)皇子,母は元明天皇。諱(いみな)は氷高(ひたか)または新家(にいのみ)。和風諡号(しごう)は日本根子高瑞浄足姫(やまとねこたかみずきよたらしひめ)天皇。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

元正天皇 げんしょうてんのう

680-748 奈良時代,第44代天皇。在位715-724。
天武天皇9年生まれ。草壁(くさかべの)皇子の娘。文武天皇の同母姉。母の元明(げんめい)天皇の譲位をうけ即位。「養老律令」を制定し,「日本書紀」を完成させた。按察使(あぜち)をおいて国内の治安をはかり,衣服の襟(えり)をはじめて右前にさせ,四等官以上の官吏に笏(しゃく)をもたせたり,三世一身法を施行するなど,律令体制の強化・浸透をはかった。天平(てんぴょう)20年4月21日死去。69歳。墓所は奈保山西陵(なほやまのにしのみささぎ)(奈良市)。別名は氷高(日高)皇女,新家(にいのみの)皇女,日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたかみずきよたらしひめのすめらみこと)。
【格言など】橘(たちばな)のとをの橘弥(や)つ代にも吾(あれ)は忘れじこの橘を(「万葉集」)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

元正天皇

没年:天平20.4.21(748.5.22)
生年:天武9(680)
奈良時代前期の女帝。在位は霊亀1(715)年9月から神亀1(724)年2月。名前は氷高皇女。天武天皇皇太子草壁皇子元明天皇の長女。和銅7(714)年二品で食封1000戸を与えられ,翌8年1月一品。9月母の譲位を受け36歳で即位。このとき,のちの聖武天皇は15歳であるが未だ幼稚とされ,一方氷高は落ち着いた考え深い人柄であり,社稷保持のために即位するとしている。その治世前半は母上皇と藤原不比等,ふたりの死後は長屋王が政権を担当。律令支配が軌道にのりその矛盾が早くも表面化するなかで,国郡分割・郷里制施行など地方行政組織の整備,計帳他文書行政の充実,浮浪人・私度僧対策,養老律令選定,『日本書紀』の完成,さらに土地対策として養老6(722)年良田百万町歩開墾計画と翌年三世一身法発布などの政策が打ち出された。神亀1年聖武に譲位,太上天皇となる。3年夏大病となるが回復。天平1(729)年には妹吉備内親王とその夫長屋王が誣告により自殺し光明立后が実現するが,これに関して,またその後の政治の変動についても彼女の立場は不明である。しかし藤原広嗣の乱(740)を契機に聖武が平城をすて転々と遷都した際,一時紫香楽の聖武,難波の元正・橘諸兄と皇権の所在が分裂した時期があり,また天平15年には皇太子阿倍が元正の前で五節舞を舞うことでその地位を確かにするなど,天皇家の尊長としての立場を保っていた。19年暮れに発病,翌年死去。母と同じ佐保に埋葬される。「長屋王邱」跡から出土した木簡に彼女の名があり,この屋敷との関係が注目される。

(西野悠紀子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

げんしょうてんのう【元正天皇】

680‐748(天武9‐天平20)
第44代に数えられる奈良前期の女帝。在位715‐724年。父は草壁皇子,母は元明天皇,文武天皇の同母姉。諱(いみな)は氷高(ひたか),または新家(にいのみ)。和風謚号(しごう)を日本根子高瑞浄足姫(やまとねこたかみずきよたらしひめ)天皇という。715年9月に元明天皇は譲位を決意したが,皇太子首皇子がまだ若すぎるため,代わって未婚のまま即位,霊亀と改元された。724年(神亀1)2月に首皇子(聖武天皇)に譲位するまでの治世9年の間に,《養老律令》の編纂,隼人の反乱,《日本書紀》の撰進,右大臣藤原不比等や元明太上天皇の死去,三世一身法の制定などがあった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

げんしょうてんのう【元正天皇】

680~748) 第四四代天皇(在位715~724)。名は氷高ひだか。草壁皇子の皇女。母は元明天皇。在位中に「養老律令」の撰修や、三世一身法の発布などが行われた。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

元正天皇
げんしょうてんのう
(680―748)

第44代の天皇(在位715~724)。和風諡号(しごう)は日本根子高瑞浄足姫(やまとねこたかみずきよたらしひめ)天皇。諱(いみな)は氷高(ひだか)。父は草壁皇子。母は元明(げんめい)天皇。文武(もんむ)天皇の姉。715年(霊亀1)母元明天皇の後を継いで即位した。当時皇太子として首(おびと)皇子(聖武(しょうむ))があったが、まだ14歳であり、身体も虚弱であったらしく、皇嗣(こうし)候補として有力な他の天武諸皇子を抑えるため、元正天皇が即位したと推定される。在位9年ののち、724年(神亀1)甥聖武に譲位した。その治世の間の重要な事件として、717年(養老1)遣唐使派遣、718年藤原不比等(ふひと)らによる養老律令編纂(りつりょうへんさん)完了。720年『日本書紀』完成。同年藤原不比等没。長屋王政権の成立。大隅隼人(おおすみはやと)の反乱。721年元明上皇没。723年良田100万町歩開墾計画と三世一身法制定などがある。美濃(みの)多度山醴泉(たどさんれいせん)(いわゆる養老の滝)への再度の行幸も有名。聖武天皇に譲位後も、政治に対し隠然たる勢力を及ぼしたと推測される。難波(なにわ)京、和泉監(いずみのげん)離宮へしばしば行幸した。大和(やまと)奈保山西(なほやまのにし)陵に葬られた。[横田健一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

元正天皇の関連キーワード霊亀和銅秋田県横手市平鹿町中吉田采女(1)紀魚員百済永慶島姫橘船子中臣豊子路大人

今日のキーワード

信長協奏曲(コンツェルト)

石井あゆみによる漫画作品。戦国時代にタイムスリップした現代の高校生が病弱な織田信長の身代わりとして生きていく姿を描く。『ゲッサン』2009年第1号から連載開始。小学館ゲッサン少年サンデーコミックス既刊...

続きを読む

コトバンク for iPhone

元正天皇の関連情報