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出雲国造 いずものくにのみやつこ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

出雲国造
いずものくにのみやつこ

アメノホヒノミコトを始祖とする出雲地方の豪族。大和朝廷に服属後,国造となり,この地の祭祀を司った。南北朝時代千家北島の2家に分れ,明治にいたってともに男爵を授けられた。 (→北島氏 , 千家氏 )

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

出雲国造

国造は律令制導入以前の地方の主で、「くにのみやつこ」「こくぞう」と読むが、出雲では「こくそう」と濁らない。「古事記」「日本書紀」にある高天原から大国主神の下に遣わされた神「天穂日命(あめのほひのみこと)」を祖とする。南北朝時代に千家・北島両家に分家し、月交代で杵築(出雲)大社の祭祀(さいし)を執った。明治政府が第80代出雲国造の千家尊癖たかとみ)氏を出雲大社大宮司に任命してからは、千家国造家が宮司を務める。現在の千家尊祐宮司は第84代出雲国造。

(2013-05-08 朝日新聞 朝刊 島根 1地方)

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世界大百科事典 第2版の解説

いずものくにのみやつこ【出雲国造】

古代出雲の豪族。出雲東部の意宇(おう)平野を本拠として台頭し,5世紀末から6世紀前半には出雲全域にわたる地域国家を形成し,その王として君臨した。しかし6世紀後半から,まず出雲西部に,ついで意宇平野の東にもヤマト朝廷の制圧が及んでくると,服属して出雲国造とされた。服属のようすは,《出雲国造神賀詞(かむよごと)》にみられるように,出雲国内186社の神々の総意を代表するかたちをとり,大穴持命(おおなもちのみこと)の和魂(にぎたま)を三輪山葛城山・飛鳥おのおのの神奈備雲梯(うなて)神社の地に〈皇孫命(すめみまのみこと)の近き守り神〉として鎮座させ,祝いの神宝の品々を献上するというかたちをとっていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

出雲国造
いずものくにのみやつこ

古代における出雲の豪族。出雲東部の意宇(おう)平野を本拠として台頭し、5世紀末から6世紀なかばには、出雲全域にわたる地域国家を形成し王として君臨した。しかし、6世紀後半から大和(やまと)国家の制圧が、まず西部に、ついで意宇平野の東部から及んでくると、国造の地位を受け入れた。出雲国造神賀詞(かんよごと)は、祭祀(さいし)権の貢上の形をとった服属のようすを語っている。このあと出雲国造は出雲臣(いずものおみ)氏を称し、采女(うねめ)、トネリを大和朝廷に送り、旧領内に屯倉(みやけ)、部民を置き、やがて評(こおり)制も施行された。さらに708年(和銅1)に国司忌部宿禰子首(いんべのすくねこおびと)が着任すると、出雲国造は意宇郡大領として一郡司とされたが、国内諸社の祭祀をつかさどるものとして「出雲国造」を称し続けた。以後、国造交代のたびに上京して神賀詞を奏上した。南北朝時代から、国造職は千家(せんげ)、北島家に受け継がれ今日に及ぶ。また、国造職の相続にあたっての火継(ひつぎ)は、古式を伝える行事として有名である。[門脇二]
『門脇二著『出雲の古代史』(1976・日本放送出版協会)』

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世界大百科事典内の出雲国造の言及

【火継】より

…神聖なる火を相続すること。出雲国造(いずものくにのみやつこ)家では古来新国造の就任にあたって必ず火継神事を行った。元来,これは意宇(おう)郡の熊野大社で行われたが,中世以降,もと国造の居館近くの斎場であった神魂(かもす)神社(松江市大庭)で行われるようになった。…

※「出雲国造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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