刀町(読み)かたんまち

日本歴史地名大系 「刀町」の解説

刀町
かたんまち

[現在地名]唐津刀町かたなまち

唐津城築城時の町割でできた。俗称「かたン町」が刀町になったとの説がある。片ン町は城の大手門前より西への町並で、名護屋なごや(唐津―名護屋村)道筋にあたり、人や物の動きが活発で、藩政後期は実質的に唐津総町一七町の筆頭町となっており、唐津神社の神幸(くんち)のヤマ行列にも同町の「赤獅子」が先頭に立つ。

刀町の勝木・石崎・喜田・篠崎らの豪商は藩の御用達か御用付商人として羽振りをきかしたが、廃藩後は篠崎家だけが同地に残った。篠崎家の家号は鬢付屋といい、豊臣秀吉とともに名護屋に下り鬢付の用を勤めた堺商人で、小笠原氏時代は藩の掛屋も勤めた。「村々小物成あるいは浦山方諸運上銀当町判屋にて掛改いたし百目に付掛入五分宛其上判賃等指出村方より判屋へ相渡申候」(篠崎家文書)とあるように、藩への納金はすべて掛屋(判屋)を通して行われ、掛屋は手数料をとっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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