分杭峠(読み)ぶんくいとうげ

日本歴史地名大系 「分杭峠」の解説

分杭峠
ぶんくいとうげ

市野瀬いちのせより南の粟沢あわざわを登って千村氏預り領の鹿塩かしお川の谷へ越える峠で、標高一四二七メートル。南は鹿塩・大河原おおかわら(ともに現下伊那郡大鹿村)地蔵じぞう(現下伊那郡上村)青崩あおくずれ(現下伊那郡南信濃村)を経て三州秋葉あきば(現静岡県)に通ずる道筋にあり、江戸時代は秋葉山の秋葉神社へ参詣する人が多く通った。

しかし中世においては諏訪から高遠を経て、大河原から三州に通ずる近道あるいは間道としての道筋の峠であった。

峠の名の起りについて年代はつまびらかでないが、高遠藩では領内の他領との境界に「従是北(南・東・西)高遠領」と書いた境界杭を立てた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む